宗教真理アカデミー

メールマガジン001号

「ヴィパルヤーサーティ」について


 こんにちは。

 般若心経のサンスクリット語原本には、「ヴィパルヤーサーティ」という言葉が登場します。「本末転倒した見方・考え方」という意味の言葉です。重要な仏教用語なので、覚えておくと良いでしょう。
 『般若心経完全マスター・バイブル』の前篇の第二章の「無為と有為の二分法」について学習した人は、「本末転倒した考え方」の核心部分について、既に理解ができています。
 「ヴィパルヤーサーティ」については、『般若心経完全マスター・バイブル』の後篇第七章の「語義解析39」(空−七−百三十四)にも解説が有りますので、ご参照下さい。


この地球上の全世界を眺めてみましょう。 戦争が多発し、環境汚染・環境破壊は著しいですが、科学の分野でも著しい発展が見られます。地球は一体、この先、どうなるのでしょうか? 
 先行きは楽観できるのでしょうか。それとも悲観的なものなのでしょうか。

 何を主導的なものにみるか? それが問題です。
 神主導とみれば、楽観論になるでしょう。しかし、人間主導、もっと言えば「人の悪いエゴ」主導と見るなら、悲観的見方になるでしょう。
 単純にそういう事です。  ここに深い真理があります。
人類の歴史を人間主導と見るか、神主導と見るか、その違いです。

 既に崩壊したソ連の共産主義は唯物論なので、人間主導の考えです。よって、ソ連の人々は、コムズカシイ顔をして思慮深げに共産主義を論じて、暗い印象を与えました。一方、アメリカ人はアホかというほどに明るく、楽観的です。米国はキリスト教国家で、新約聖書の「いつも喜んでいなさい」という聖句が浸透しているから、と見ることもできましょう。
常に、主を賛美する米国と、神を認めず自力の道を模索したソ連。
 この勝負は、米国の圧勝でした。

 ビートルズの歌 『レット・イット・ビー』 も、神主導の考え方の歌詞ですね。
これには、「あるがままに」という和訳と、「なすがままに」という和訳が有ります。神様のご意志、主の御心のままの存在形態こそがベストであるという「無為の思想」と解釈すると、良いでしょう。
 ただし、「無為」を停止的で停滞的な「静態的なもの」と解釈すると、「恐ろしい怠惰」につながります。ですから、そうではなく、
「無為」とは、「生きた神の巨大・壮大・荘厳な、現在進行形の営み(=営為」と考えましょう。そうすると、「走っている神と共に、私も走る」という動的な「精進」の思想に直結します。
 ですから、『レット・イット・ビー』 は怠惰な状態を推奨する思想ではありません。誤解しないで下さい。
 『レット・イット・ビー』 は深いところでは、『無自性の瞑想』に通じている思想なのです。『無自性の瞑想』については『般若心経完全マスター・バイブル』に詳しいので、そちらを御覧下さい。

「ヴィパルヤーサーティ」は、 何を大事にするのか? 何に固執するのか、ということに関する問題です。
 神主導の見方に身を任せるのか、自分主導の見方に固執するのか?

 「上善 水の如し」と言います。(お酒じゃないですよ)
 上質の善は、水の如く 決まった形を持たない という意味です。
 「融通無碍」とも言えましょう。

 「融通無碍」とか「観自在」という思想は、とても高度なものです。「上善」に属します。
しかし、それは、「神という第一原因」である「大本(おおもと)」をしっかり認識することで見えてくる地平であり、それほど難しいものではありません。

では、皆様の上に、主なる神の豊かな恩寵が注がれ、向上の道を歩んで行くことができますように。
それでは、また。

碧海龍雨





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