特長 その1

≪叡智のヨーガの殿堂≫  

▼ 叡智のヨーガとは

 ここは、「叡智のヨーガの殿堂」です。

 ヨーガと言っても、インドのバラモン教からヒンドゥー教に到る
「ヨーガ」には、実に沢山の種類が有ります。
 たとえば−−−−
 
バクティー・ヨーガは、特定の対象に信仰と愛情と献身を集中させてヨーガ修行をするものです。「グル」としての師匠を神の化身と見て、自分のグルの指示通りに生活し、修行します。本物のグルの場合には、素晴らしい効果が有りますが、ニセのグルだった時に、その指示通りに行動すると、悪行をすることになる危険も有ります。
 
カルマ・ヨーガは、特定の対象に対してではなく、日常生活の仕事全般を「見えざる神」に捧げる「奉仕行」にするヨーガです。
 
ラージャ・ヨーガは、ハタ・ヨーガと軌を同じくするもので、様々なアーサナ(体位)をしながら、肉体の状態を整えて、深い精神集中と呼吸の制御、そして心の制御を実践しようとするヨーガです。

 そして、「叡智のヨーガ」は、
梵語ではジュニャーナ・ヨーガと言われます。ジュニャーナは「叡智」の意味です。
このジュニャーナ・ヨーガは、
別名ブッディー・ヨーガとも言われ、ブッディー(理性)を使って、神に意識を集中させて行くと同時に、自分の煩悩を切り刻んで、「肉を超越して行こう」とするヨーガです。
 言い換えるなら、自分に与えられた理性を「真の神の探究」に捧げ、「煩悩の超越」という目的のために行使するヨーガです。
 その意味で、
仏教は「叡智のヨーガの技法」だと言えます。
 「般若ヨーガ」という言葉を般若宗では使用しますが、
「般若ヨーガ」とは、「自性」という特別の概念を使用した叡智のヨーガのことです。
 いつの頃からでしょうか、仏教は「小難しい机上の空論」に堕落して、「生きた叡智のヨーガ」ではなくなってしまいました。その証拠に、たとえば、著名な仏教学者たちは叡智のヨーガ行者ですか? と問うならば、「いいえ、彼らは叡智のヨーガを実践してはいない」という答えにならざるをえないことでしょう。これが、日本の仏教界の現状です。
 だからこそ、「生きた、本物の叡智のヨーガ」を現代に復活させ、本物のブッディー・ヨーガの実践法を皆様に(ほとんど無料で)提供しようというのが、このサイトです。

▼ 叡智のヨーガの特徴

 叡智のヨーガは、色々なヨーガの中で、
最も強力で、最も高度なヨーガだと言われます。
 ただ、それだけに、誰にでも実践可能なヨーガというわけではありません。初心者には、むずかしいのです。
 一方、実践可能な(レベルの高い)人にとっては、理性で「神」を探究し、これに瞑想して行く叡智のヨーガの技法こそ、ゴールである「悟り」に最短・最速で行き着ける瞑想法だと言えます。
 「般若の利剣」という言葉が有りますが、叡智のヨーガでは、「神ではないもの」や「真ではないもの」を 「これでもない、これでもない」と否定して、切り捨てて行くような瞑想法をとります。それゆえ、「理性による識別の鋭利な否定の剣」は、「まやかし」と「邪道」を次々に切り刻みます。
 ですから、「叡智のヨーガ」の実践者は、
識別力が増して行き、簡単には騙されない人間になって行きます。

 叡智のヨーガの行者は、理性の力によって物事を識別して行くので、何事も、簡単に頭から信じるような真似はしません。こうしたな瞑想法のために、ブッダは無神論者だと誤解されることがあります。しかし、叡智のヨーガでは、真理としてのを
神を求める ≪探究心と集中力≫ を強烈に働かせつつも、同時に「簡単には信じないスタンス」をとります。

 このような強烈な探究心は、それ自体が、「真理に対する信仰」に基づくもの、と言えます。
 こうした意味での、
強烈な真理探究心という≪無形の信仰」だけを堅持≫しながら、「否定の剣」を使って瞑想して行くのが「叡智のヨーガ」です。

▼ 理性で「真の活動本体」を探究し、それに集中して「悟り」に到る、正統的な手法

 昔、インドには
「水銀派」と呼ばれる一派が有りました。水銀を調合して「秘密の薬」を作り、これを飲めば、即身成仏できる、という主張を持った一派です。この思想はチベットにも伝えられ、現在でもチベット密教の中には、即身成仏のためには「水銀が必要」だというと秘密口伝が有るほどです。
 オウム真理教では、高温の湯に入る修行が教えられました。
 
無知な人々は、こうした「特別な修行法」こそが、即身成仏の近道だと洗脳されてしまうことも多々あります。

 しかし、叡智のヨーガを行う人は、こうした
「インチキな教え」に惑わされることなどありません。叡智のヨーガは、おのれの理性と集中の力だけでゴールを目指すヨーガだからです。実際、釈尊は、水銀を飲んだり、高温の湯に入ったりすることなしに、悟りを開きました。
 余計な秘密の修行は無用です。ただただ、目覚めて、「理性を正しく行使」すれば良いのです。それだけです。
 そして、これこそ、
最も安全であり、最も早い道だと言え、最も正統な「王道」だと言えます。

 叡智のヨーガでは、理性を「神の探究」という目的のために使います。
 では、探究する目的の「神」とは何なのでしょうか?
 「神」が生きた存在ならば、主体であるはずです。
 では、何が「真の主体、活動本体」と言えるのでしょうか。また、一見、「活動本体」と見えるものでも、深く観察すると活動本体ではないものもあるので、そうなると、「真の活動本体」とは何なのか、問題となります。

 
何が「真の主体、活動本体」なのでしょうか?
 これについて、真剣に集中して思考して行くのが、叡智のヨーガです。
 こうした思考法について、すなわち、叡知のヨーガの実践法について詳しく解説したのが、「般若心経 完全マスター・バイブル」という書物です。全文、電子書籍としてこのホームページ上に公開しましたので、そちらをご覧下さい。

▼ 聖なる渇仰心による先導

 仏教には
「菩提心(ぼだいしん)」という言葉が有ります。「菩提」は「悟り」の意味です。よって、悟りを渇望する心を菩提心と言います。また、菩提心のことを「発菩提心」又は、略して「発心(ほっしん)」とも言います。
 そして、この聖なる渇望心のことを、
≪渇仰心(かつぎょうしん)≫ とも言います。
 叡智のヨーガは、ブッディー(理性)を使うヨーガですが、自分の理性を 「強烈な渇仰心」 に先導されて行使します。
 それゆえ、囲碁・将棋や法律学や医学や科学とは、理性の使い方が大きく異なります。
 
「真の神の探究という目的」のために、理性を「瞑想の手段」として用いるのです。
 従って、叡智のヨーガでブッディー(理性)を行使すると、意識が神に絞られて行くので、「マインド(思考作用)」が停止して行きます。この点が、普通の学問で頭を使うのとは、大きく異なる点です。
 そうして、諸煩悩や肉欲を徐々に超越できるようなレベルに向上・前進して行きます。
 

▼ 自在にインテグラル・ヨーガを実践できる

 インテグラル・ヨーガとは全的なヨーガ、すなわち、総合的なヨーガのことです。
 セクトを超越した「空」に立脚しますから、叡智のヨーガの枠組みに留まりません。他のヨーガも自在に活用して修行すくことができます。他のヨーガ行者は、全部のヨーガを総合することができません。しかし、叡智のヨーガの実践者だけが、脚下照顧を五割以上の比率で実践するならば、他の時間は、自由自在に他のヨーガ、他の修行法を実践することができます。
 それゆえ、般若宗の修行法は、奥が深く、幅が広く、極めて強力なのです。


▼ ベースキャンプ理論

 たとえば、エベレスト登山をする場合、途中の安全な場所に「ベースキャンプ」を設営し、そこを足掛かりとして、山頂アタックの拠点にしながら、登山します。 
 これと同じことが、霊性修行でも必要です。 「山頂」 という 「悟り=神への没入・帰入」 を目指して登山するには、途中に「安全なベースキャンプ」を設営する必要があります。 中には、ベースキャンプなんか造らずに一気に登ってしまおう、という威勢のよい人も沢山いますが、山頂は非常に高いものなので、必ず途中で、色々な困難に遭遇し、その人たちはそれに対する準備と実力が備わっていませんから、一発で挫折して、山の斜面から一気に下まで滑り落ちてしまい、大きな傷を受けることになる(信仰も失ってしまう、生活もすさんでしまう)−−−そんな事例が沢山あります。

 こうした失敗を回避するために、「叡智のヨーガ」の技法をある程度、修得して、「正しい瞑想法」を実践し、その力と論理で、「精神の制御と安定」を確保することができれば、精神と修行と生活のバランスを保つことができ、心身を健康のまま維持できます。
 たとえば、バクティー・ヨーガで、●●というグルを真の聖者だと思い込んで信仰していたのだけれども、ある時、「このグルはニセモノに違いない」と感じて、その人への信仰が崩壊してしまった時、熱心な信仰者であったこの人は、山から一気に滑り落ちた状態になり、ショックは極めて大きなものになり、また、そこに悪魔の軍団も容赦なく追い打ちを仕掛けて来ます。
 しかし、−−− 他の誰をも信じ込まずに、自分の「真我だけ」を瞑想する技法 −−− これで精神を鍛えておけば、斜面からの落下もほんの少しで食い止められます。途中のベースキャンプに戻ったようなもので、そこで心を休めることができます。
 そのまま、叡智のヨーガの技法で登山を続けるも良し、  また、 気を取り直して、他の信用できるグルを探すのもよし  
 このような、 安定と流動性を保つことができます。

 −−−これが、叡智のヨーガを学習することの 大きな利点(メリット) なのです。


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このページの最終更新日 2004/3/4

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