宗教真理アカデミー

メールマガジン008号(2006/2/21配信)

「美しく強い心」−−奇蹟の不動放光心パワー


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 【メルマガ第8号】 タイトル 「美しく強い心」−−奇蹟の不動放光心パワー


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「美しい心」と言えば、まずなによりも「神の法」に合致している心だと言えます。違法・不法を行う心は、美しい心ではないし、「弱い心」と言えます。
つい先日、幼稚園児を送る自動車の中で、二児童が殺害される痛ましい事件がありました。犯人の女性は、中国から異国の日本に来て、情緒不安定、各種のストレス、疎外感などに苛まれ、パラノイア的になってしまった可能性があるものの、こうした「動揺しまくる心」は、やはり「弱い心」の範疇に属します。

また、株においても、「狼狽売り」などという用語もあるとおり、値段が思惑と反対に動いた時、「やばい!」と、あたふたと狼狽して、パニック状態で売り買いすることが起こります。
世の中には、動揺や狼狽するような事柄が沢山、うようよ渦巻いています。
そんな中で、なお、平然・超然として、「美しく強い心」を保って暮らすにはどうしたら良いのでしょうか?

我々はアジア人ですから、アジアの英知に触れるべきです。
最近流行(はやり)の言葉に、「アジアン・ビューティー」というのがあります。
花王のヘアケア製品『アジエンス』のテレビCMを私は以前から好きなのですが、『アジエンス』のホームページには、アジアン・ビューティーに関するコンセプトが詳しく紹介されています。
http://www.kao.co.jp/asience/
「内面を磨くことで外観に醸しだされる、華美な装飾でも不自然な人工美でもない、身体の内側からみなぎる自然な美しさ、そして、その人の個性や才能に基づく、その人にしかないオンリー・ワンの美しさ」
まあ、大体そういうことが述べられています。
外界の世界に気を奪われ、いたずらに他者を嫉妬羨望をして心を惑わせるのではなく、自分の内面を見つめることで、自分だけのオンリー・ワンの美しさに目覚め、それまでの「シンデレラになる」ことを望んでいた自分から、「もともと自分はシンデレラであったのだ」と気付くこと・・・。
こうした製品コンセプトがアジア的であり、もっと言えば「仏教的」であることは勿論のことです。
(法華経には、自分が王子という身分の者であることを忘れた便所掃除夫の比喩があります。)

CM「アジエンス」には、中国の女優チャン・ツィイーを最初から起用し続け、彼女のイメージは製品イメージにジャスト・フィットしています。
彼女からは、日本人女優にはない、超大国中国の人間としての誇りと自信が、あの細い身体と強い意志の眉間から強烈に発せられています。先般、日本の女性雑誌の表紙に彼女の顔のアップの写真がありましたが、たまたま写真うつりが悪かったのか、それとも化粧が薄かったのか、とにかく、栄養不足的な貧相な普通のおばさんという感じで、「えっ!」と驚かされましたが、ともあれ、彼女の中から発せられる「自信」の力は、やはり多くの女性の手本になるものと言えましょう。もしも、彼女が「自虐的な弱い心」を持っていたら、女優としてここまでの活躍はできなかったことでしょう。
しっかりと、「凛として自分を保つ姿勢」を彼女から学ぶことは可能でしょう。

この「自信」に関連しますが、サッカー日本代表監督のジーコは、「強い心を持て」と、よく言います。
その意味するところは−−−どんな逆境においても、相手国アウェーの強烈な洗礼の中にあっても、罵詈雑言の中にあっても、強烈なプレッシャーの中にあっても、どんな困難な状況におかれても、それでもなお、自分を見失わず、取り乱さず、自分のベストのパフォーマンスを冷静に発揮することができる、そういう精神状態を保て−−−−ということのようです。
確かに、それまで練習して来たことが本番で発揮できなければ、すべては水の泡です。



平常心と、高揚のバランスです。これは高い意識でなければ実現できません。

サッカーにおいては、敵である相手方は、敵の戦力が発揮できないように、故意に相手を惑乱するような手段を取って来ます。そうした「逆風」に打ち勝つことが求められます。

プロ野球で言えば、巨人軍に移籍してから、からっきし打てなかった広沢選手や江藤選手などは、この基準から言えば、「当時は弱い心だった」ということになるかもしれません。一方、ヤンキースの松井選手やイチロー選手などは、既に大きな成功と実績を残していますから、自分をコントロールして適切に保つ「強い心」を既に会得していると言えましょう。

但し、こうした「強い心」は、適切な知識と正しい訓練で、会得が可能な精神コントロールの一技法と言ってもよいでしょうから、「人は誰でも、適切な鍛錬で、強い心を会得できる」、とも言えましょう。と同時に、こうしたことは一朝一夕に身につくものではないため、「普段からの不断の心掛けが大切」とも言えます。

ついでに、最近で一番大きな話題について触れておきましょう。
ライブドア事件です。7000億円が一瞬にして紙屑同然という、未曽有の大暴落事件です。
ライブドアへの強制捜査が入り、株式市場が大混乱になった時、即断即決で、一大決断をしたことで世間から大バッシングを受けた人物がいます。
マネックス証券の松本大社長です。彼は、米国ゴールドマッサックス社のデリヴァティブ取引システム構築を主に成し遂げ、結果報酬の十億とも五十億とも言われる特別収入を受けるはずだったのに、それを待たずに、その収入を捨てて会社を辞めて日本に帰国して、オンライン証券を設立した伝説の天才です。若い時は、開成中学首席で入学?、とも言われている人物で、私は実際にJRの秋葉原駅ホームで本人に会ったことがあります。よっぽど声をかけようかと思いましたがやめました。波動はとても清廉潔白な感じで、マネックス証券は設立当所、初心者個人投資家にはあまりに危険な「信用取引」を一切やらず、現物のみだったため、信用取引で成功して儲けたい個人投資家から敬遠され、会社として全く利益が出なかったという話まであります。
つまり、これほど良心的な証券会社でありたい、という初心があったのです。
その彼が、ライブドア事件で取った行動−(ライブドア関係5社の株式に対する信用取引の代用有価証券掛目の変更、すなわち、その証券の担保価値を低く評価しなおす決断)−は、証券業界の人々から、そして与謝野金融担当大臣からまで、一斉に批判されました。
この時、ゴールドマンサックス社が大量の空売りで下落分の利幅で大儲けしたというガセネタ(?)もあり、松本氏とゴールドマンサックス社の結託した行動か? などとも勘繰られたりしています。
このような状況の時、松本氏のかつての上司、伝説のトレーダー、ジョン・メリウェザー氏が、松本氏のところに直接現れて、彼の決断を支持し、励ました、ということです。
http://www2.monex.co.jp/monex_blog/archives/006595.html
http://www2.monex.co.jp/forum/archives/2005/10/post_85.html
http://www2.monex.co.jp/monex_blog/archives/cat_10.html
http://www2.monex.co.jp/forum/archives/a_matumoto/index.html

オンライントレードのリーダー松井証券の松井道夫社長は、テレビ出演して「マネックスの松本氏の決断は、業界人の常識としては全く考えられない行動で、投資家保護の対極の行動だ。その結果がどうなるかは、いずれ分かる」という内容の発言をしました。つまり、「マネックス・ビーンズ証券では今後到底恐くて取引できないから他へ行こう」という投資家が雪崩を打って他社に移ってしまうだろう、との予測をしたわけです。果たしてそうなるのかどうか?
私は、松本社長の読み通り、影響は一部限定的だと思いますが・・。
確かに、業界常識のとおり、マネックス証券の行動を真似て他社も同様に一斉に、問題の株の担保価値の掛目を引き下げたならば、市場の混乱に油を注ぐことになったとは思いますが・・・。

この松本社長だったか、他の人だったか思い出せませんが、サッカーのアウェー以上の鉄火場である「激動の金融株式市場」にあっても、取引者(トレーダー)の理想は、
アジアの「強い心の一つの理想形」としての「木鶏」だと言う人がいます。
スポーツ世界やその他の勝負の世界でも、多くのアジア人が、「木鶏」の譬えを出しています。

「木鶏」とは、荘子の哲学に登場する話で、「鶏鳴くものありといえども、すでに変ずることなし。之を望むに木鶏に似たり」−−すなわち、どんな対戦相手の威嚇に対しても一切同ぜず、木像の如く、不動であること山の如し」という「不動心」がここで表現されています。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/ghh00713/mokkei.html
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/8318/hokou_13.html

但し、この「木鶏の如き不動」は、本当に動かない鈍性(タマス)の不動とは全く違います。相手の攻撃に瞬時に反応して敵を倒す「驚速の行動」に瞬時に移れる、「気と知の漲(みなぎ)った鋭敏な待ち受け状態としての不動」なのです。(ゆえに、この比喩は剣道などでも使われます。)

他の譬えで、丁度フィットするものがあります。
「百人一首の歌留多(カルタ)取り競技」です。これを思い浮かべて戴ければ・・・と思います。
歌の最初の五文字程度が読まれた瞬間、パッと競技者の手が一閃して、そのカルタが弾き飛ばされます。この手が一閃する前の−−「全カルタを視野に入れつつ、どこにでもランダムアクセスで手を伸ばせる状態で待ち受ける準備万端」状態の不動」−−
これが「アジアン・ビューティー」に通じるアジアの古来からの「哲学としての美学」です。

危機管理がよくできていれば泰然とした余裕を持てます。危機管理不足だと、何かが起こった時、あたふたと慌てふためく「(狼狽の)醜態」を演じることになります。
こうした「狼狽の醜態」と「酔っぱらいの酔態」はとてもよく似ています。特に、酒によって醜態を演じることは、誰にでもあることでしょう。
まどろむ状態で、タマス(鈍性)の暗黒の停滞の中で、いい加減なことをしていると、そうした「酔態」が醜態を生み、惑乱・悩乱し、精神が蝕まれ、寿命を縮めます。

(注−−この道理は、個人のみならず国家にも該当します。「般若宗がダライ・ラマ亡命政府を支持しない理由」というのを近々メルマガで配信しようと思いますが、その理由もこれに関連します。)

「酔に溺れ、醜態を演じる」のではなく、目覚めて、しっかり危機管理に意を払うことこそ、肝要です。
理想美学の象徴としての「木鶏」の目は、熟睡を貪る死んだ目ではなく、危機管理に意を払う準備万端整った、覚醒状態での泰然自若の目であり、融通無碍な技を繰り出す(何かへの一辺倒な)偏執、こうした凝りのない、しかしそれでいて、全くだらけてもいない「凛とした心」を湛(たた)えた目なのです。

さて、話を「アジエンス」のテレビCMに戻します。この音楽は、坂本龍一が担当しています。晴れの舞台に登って行く女性の、心のトキメキ、ある種の湧き上がるテンション上昇の心情を見事に音形化していて、とても良い出来だと思います。もっと言えば、この曲は、かなり見事に「ドゥエンデへの階段」を表現している、とも感じます。坂本龍一、円熟の一品と言えましょう。
「ドゥエンデ」とは、表現者が一種神憑り的に至芸を生み出す霊妙な高揚の境地であり、それを目(ま)の当たりにして感動する人々の心の高揚をも意味する、そんな言葉です。
http://www.jspanish.com/yomimono/lorca/lorca2.html
http://www.jspanish.com/yomimono/patio/patio52.html
http://www.esflamenco.com/scripts/news/janews.asp?frmIdPagina=254

「木鶏的不動」と「ドゥエンデの高揚」は、相反するものではありません。神業のスピードで手を一閃するカルタ名人のように・・・。
アジアン・ビューティー、その心から生み出される美しいバランス行動は、アジアン・ウィスダム(英知)でもあるのです。

最後に、「ビューティー」関連で、なぜ、「化粧」を「ばけて、よそおう」と書くのでしょうか? と異議申し立て、問題提起しているメイクアップ・アーティスト、というか、フェイシャル・セラピストを紹介します。
顔にあざがあったり等々の劣等感に悩まされる女性は多々いるわけですが、そういう女性を化粧の仕方によって勇気づけ元気にし、最終的には、そうした劣等感を克服し、「素顔のままで」でも顔の短所を気にしない「強い心」を持つようにと指導している女性。
常に、弱い心で悩む、弱き立場の女性、差別を受ける女性の味方として活動している人。女性一人一人の自然な美しさ、笑顔の美しさの伝道者−−−「かづきれいこ」 さん。
彼女は、「リハビリメイク」の第一人者です。医療現場でのメイクアップで癒されて行く女性たちの話は感動的です。「ああ、こうすれば、私の顔の短所は全然目立たなくなるんだ! わたしって、結構素敵じゃない?!」、と知った時から、その女性の心も人生も変わります。
http://www.kazki.co.jp/index.html
彼女自身、心臓の病気で冬は赤ら顔になってしまい、健康な顔の夏と赤ら顔の冬とでは心が別人になってしまうという体験を通して、悩める女性たちと、その悩みを共有しつつ、それを癒す方法を提示しています。
リハビリ・メイクは、最終的には、「化粧をしないすっぴん顔」ででも明るく元気でいられる「強い心」を養成することを目指している−−−そういうメイクです。化粧しなくなることを目指す化粧、とでも言いましょうか。
最初は、こうメイクすればこの短所が目立たなくなる・・・そうすると、全然別人のように素敵になる・・・という過程を踏みますが、別人になった時の「輝く笑顔」・・・・この時の自信が増幅し、自虐的な心が減少し、その人本来の輝きが立ち現れ始める時、次のことに気付くようになります。

すなわち−−−「輝く笑顔」という「強烈な放射光線」さえあれば、それは短所を隠すメイクをしているのと同じことになり、短所は全然目立たなくなるし、いつも素敵な人でいられるんだ・・・ということに徐々に気付いて行くのです。
「インナー・ビューティー」の光を放射する時、その放射光線で外観の短所は無きに等しいようになる−−−こうした信念に基づく「強い心」「自信」に基づく「輝く笑顔」−−−−アジアン・ビューティー。

長くなりましたので、まとめましょう。
結局、花王の「アジアン・ビューティー・コンセプト」を待つまでもなく、誰にあっても、「傲慢とは異なる正しい自信」を回復し、冷静沈着・不動平安的な「強い心」を会得し、的確な自己制御に基づくバランスの取れた正しい思念と行動を取ることこそ−−−−が、健全・幸福・進歩的に生きる上で、とても大切なことであるわけです。
こうした状態で、霊的光を放ち続けることができれば、在家でも成功と勝利が待っていることでしょう。

よく、宗教においては、「どういう方向で精進すれば良いのかわからない・・・」という人がいます。
上記のような方向で精進することが、普遍宗教における「精進(しょうじん)」(在家大乗修行の一つ)なのだと言えましょう。周囲の攻撃的波動に動じることなく、常に自己ベストのパフォーマンスを発揮できる「強い心」の状態でいられるように普段から準備を怠らないこと。
オリンピックの競技の「発表」にも通じることです。

幸福と幸運をもたらし、奇蹟を招き寄せる、「聖不動明王の不動心法力パワー、ここにあり」、と言えましょう。

それでは本日は以上と致します。
皆様の上に、主の恵み、主の悦びが一層豊かに注がれますように。


碧海龍雨






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