宗教真理アカデミー

メールマガジン014号(2006/4/2配信)

象徴天皇制と皇室典範改正問題について
〜〜「実用的な天皇家」を誕生させる新政策提案〜〜


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<宗教真理アカデミー>

 【メルマガ第14号】 タイトル 象徴天皇制と皇室典範改正問題について
   〜〜〜(副題)「実用的でヴィヴィットな天皇家」を誕生させる新政策の提案〜〜〜


「実用的な人間たれ」シリーズの途中、番外篇として、「宗教団体の政治参加の是非」という問題を論じ、その中で、「政教分離原則」の成立経緯と共に、人間の能力と集中力の限界を理由に、「団体の最高責任者はその重責ゆえに政治か宗教か、どちらか一つに集中し、他方を放棄すべきであること、もしもこの両方を担う不遜を犯すならば、両方面で当然要求される多数の重大義務の不履行・不作為という大罪を背負うことになり、その悪状態が継続すれば因果律の結果として大きな災厄を招く」 という霊的な法則について述べました。

このように、「一定以上の規模に達した国家は祭政一致体制を敷いてはならない」、という霊的原則との関連で、やはり、今話題の「皇室典範改正問題」についても触れないわけには行かないと判断しました。


▼天皇制を概観する

「天皇制」については、「ウィキペディア」に、「天皇制」という用語自体は共産党が最初に使った用語だとか、鎌倉時代になると、幕府と朝廷の二重政権の様相を呈した、などの解説があります。
ただ、やはり、次のように見るべきでしょう。
すなわち−−−源頼朝が鎌倉幕府を立てて、政治の実権を朝廷からもぎとった、というカタチで、日本で初めて、「朝廷による祭政一致体制」から「武家幕府の政治体制」という意味での「政教分離原則」という叡智が具現化した−−−と。
以来、(一時的に後醍醐天皇時代などの天皇親政時期があったものの)、徳川の江戸幕府まで、この偉大なる叡智である「日本的政教分離体制」が続き、政治と国家の体制は安定的に発展します。
だからこそ、源頼朝はリーダーとして偉大な功績を残した、との評価になるのでしょう。(人間的には大いに疑問ですが)

そして、問題の「明治時代」に入ります。憲法制定責任者である伊藤博文はどのような憲法にするか悩んでいましたが、公家出身の岩倉具視から「(天皇による)欽定憲法の形に・・」と遺言で強く懇願され、また、欧州視察で欧州の立憲君主制度を見聞きし、江戸幕府に対する倒幕の志士として闘って来た伊藤としては、尊皇攘夷から「王政復古の大号令による明治政府樹立」という流れの中で、「天皇が憲法をお定めになられた(立憲君主)」という形を取ることが望ましいと判断しました。
ただ、「王政復古」思想のまま、天皇に政治実権を握らせるつもりは毛頭ありませんでした。
ゆえに、「明治憲法」では、天皇が憲法制定した形にして、「日本国の統治権は天皇にある」と定めながら、
しかしその一方で−−−(再度、強調します)しかし、その一方で、
「内閣の輔弼制度」を取り、「政治判断の決定権は明治政府にあり、天皇は内閣の助言を受ける形で、その提案を拒否する自由はなく、ただ、承諾するのみ」 という体制になりました。
これは、政治的な建前と本音−−すなわち、「天皇を崇め奉る」建前と、「しかし政治の実権は握らせませんよ、天皇には内閣という後見人が必要です、それが内閣による補佐・輔弼制度です」という本音の二頭立て、という形であったわけです。
これは、英国王室が作った「君臨すれども統治せず」という体制を伊藤が参考にしたもの、とも言われます。
この時、「政教分離体制」と「政治的には形骸化した象徴的天皇制」の形が、半分以上出来上がっていた、とも言えます。

ところが、ところが−−
明治憲法では「天皇崇敬」という「建前」を大きく打ち出し、本音の「内閣輔弼」部分は小さく控え目に書くことにしました。本音をなるべく「言挙げしない」ようにしたのです。
しかし、これが仇(あだ)となり、昭和の軍部時代になると、本音の「輔弼」部分が踏みつぶされ、「天皇の統帥大権」が主張され、「悪魔的国家主義者に乗っ取られた祭政一致体制」へとなだれ込んで行くことになるのです。

では、なぜ、このような「悪しき祭政一致体制」で軍部が独走したのか?
その下地は、勿論、明治政府が、のちに西洋的な「信教の自由」を明治憲法で定めながらも、憲法制定のずっと前から、「国家神道体制」を採用していたことに関係します。
「明治憲法制定」は明治22年発布です。しかしそれ以前、既に、「王政復古の大号令」により、徳川幕府の終焉と明治政府樹立が宣言され(明治維新)、明治元年の神仏分離令(太政官布告)と、明治3年の「国家神道・祭政一致体制を宣言」する大教宣布を出して、民間では廃仏毀釈の嵐が吹き荒れました。
(大教宣布について参考 http://www.tabiken.com/history/doc/L/L055C100.HTM )

明治政府は、「国家神道は宗教ではない」というロジックを採りましたが、詭弁の感を否めません。「天皇は現人神である」とするような教育は事実ずっと続いたわけですから。

以上を要約すると−−−明治時代の国家体制について−−−「日本は国家神道体制であった。しかし、天皇に政治実権はなく内閣輔弼制度だった事に加えて、国家神道は宗教ではない。以上により、当時は祭政一致体制とは言えない」−−−このように言われれば、「あっ、そうですか」と言わざるをえないでしょう。
この何とも言えない「玉虫色」の妥協的体制をどう思うか? です。

「明治憲法のネガティブ・イメージはアメリカの策謀だからもっと明治憲法の良い面を見直そう」という運動もあります。しかし、私が一点、申し上げたいことは−−−
明治憲法には、「軍に対するシビリアン・コントロール条項がなかった」−−−という意味で、人間の悪欲にもとづく権力の横暴を抑制する意味で作られた「立憲制度」の根幹とも言える「権力抑制・三権分立の基本趣旨」を、伊藤博文はあまり理解していなかった・・・・と言えるのではないでしょうか。
「統帥権は天皇にある」としながら「内閣輔弼制度」を採用しましたが、軍部の統帥権については内閣輔弼の条項が書かれていなかったため、のちの軍部の独走ロジックを生むことになります。
すなわち、明治憲法プログラムにはバグがあり、「軍部独走させるための潜伏ウイルス」が起動されるのを今や遅しと待っていた状態であったのです。
このウイルスの起動スイッチを押したのは、犬養毅と鳩山一郎だと言われます。
http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/yougo/tousuikenkanpan.html

「彼らが立憲制度を破綻せしめる、その引き金を引いた」と言えるでしょう。
無知な人たちでは到底思いつかない「とんでもない法解釈」、というか、「法の網の目をくぐる解釈」をしてみせて、政府内閣を批判するつもりだったその国会演説で披瀝した「統帥権干犯ロジック」(干犯とは干渉・侵犯の略です)
これに皆は衝撃を受けました。それまで、誰も内閣の行為を軍部に対する統帥権の干犯とは思っていなかったのに、軍人たちは、この時を境にして、次のように考えるようになります。
「そうだ、そうだ、そうだったか! 我々、皇国のために働く軍人の行動を勝手に制限する政府内閣は、けしからん。我々軍人を直接統帥なさっておられるのは天皇陛下さまぞ! 内閣は天皇と我々の間に立って、我々に指図するとは不当な干渉であり、天皇陛下さまの軍部に対する統帥権を恐れ多くも干犯するものであるぞ! これは断じて許せん! お上に代わって成敗してくれる!」 と。
こうして軍部の独走を内閣も議会も止めることができなくなってしまったのです。
これは、権力の相互抑制を意図する「立憲制度の破綻」を意味します。

もしも、このとき、天皇陛下が、「朕(ちん)は軍の統帥権を内閣に委譲すると決めた」とご発言なさっておられたならば・・・・。しかし、最初から「お飾り」として祭り上げられた当時の天皇陛下にそのような裁断を求めるのは酷かもしれませんが・・。
しかし、「欽定憲法体制であること」及び「立憲制度の趣旨破綻の危機」という二点に鑑みれば、天皇陛下の上記のようなご英断があれば・・・と思わざるをえません。
(但し、だからといって、当時の天皇陛下に責任があるとまでは言っていません!)
むしろ、内閣輔弼制だったのだから、内閣が、上記のように天皇に発言するように「補佐」すればよかったのだと言うことができましょう。
しかし、ここで、恐らく、「国家神道・天皇現人神」的な教育の悪効果が作用していたのかもしれません。
当時の内閣は天皇にそのような進言をする「勇気と胆力」がなかったのだと思われます。

この点、今の小泉さんや、皇室典範改正に関する有識者会議の座長でロボット工学の権威、(元東大学長)吉川座長のような人であれば、そういう「宗教的な恐れ」なしに、平気で、
「陛下、明治憲法の危機でございます。軍の統帥権は内閣に委譲するとご発言なさって下さい」と進言し、
陛下に「そう言わせる」こともできたのではないでしょうか。

昨今、皇室典範改正(悪)を恐れなしにやろうとする上記の二人に対して、「不遜だ」という批判がありますが、真の宗教的な畏れの念と、実用性は、本来、根本においては両立すべきなのです。
(私の今回のメルマガ「実用的な人間たれ」シリーズは、中観思想の絶妙な観点から、そのバランスを説くものです)
西尾幹二氏は、「上記の二者は本来両立しない」と書いていますが、福沢翁の合理主義と深い宗教心の両立は可能であるし、そのような方向性こそが、仏陀のそれであり、叡智のヨーガである、と指摘しておきます。


▼本論・皇室典範改正問題について

小泉・吉川の両氏は、「現在の象徴天皇制の存続」という「実用的な見地」からのみ、皇室典範改正をして「愛子様の天皇即位を可能にしよう」と画策しました。
この画策通り、「女系天皇容認」になると、もはや皇室ではなくなってしまう、と危惧する人々が声を大にして反対を唱えました。なぜなら、もしも未来において、歴代の女性天皇が婿取りを民間からすることを続けるならば、どこの馬の骨ともしれない男性の血統が皇室に流れ込み、それがやがて主流になり、今の皇室の血統とは似ても似つかないものになってしまう、からです。
これは、男性の血統を重視する思考法です。「Y1染色体遺伝子は男性のみに継承される」ということらしいので、そうであれば、男系の子孫が跡継ぎとならねば、皇室の男系の血統は途絶えることになります。

しかし、「男女平等参画」「女性差別の解消」のために闘う女性たちからすれば、女性だけに伝わる「ミトコンドリア」があるのだから、ミトコンドリアという点でいえば、皇室は、歴史的に男系維持のために、側室として他から女性を連れてきて子を産ませて跡継ぎにしているのだから、「皇室に引き継がれている同系ミトコンドリアはないし、もうぐちゃぐちゃ」ということを主張し、「結局、遺伝子的なことはどうでもよい。男女平等が大切」という論理で突破しようとします。
これに対して、男系維持論者は、伊勢神宮の「式年遷宮」は二十年に一度建て替えされるが、新築木材の調達が困難だから「コンクリート建造物にしよう」という実用性の主張はナンセンスであり、そうなったらもはや伊勢神宮ではない、それよりも、木材調達の方向で工夫をこらすべきだし、実際、明治天皇の要望でその方向で解決がはかられた史実がある、と主張します。
今回も同様で、男系維持の他の方途が模索されるべき、その努力なしの安直な女系天皇容認は許されない、という主張です。


ところで、天皇家はこの問題にどのような意見をお持ちだったのでしょうか?
皇室典範改正派は、「天皇陛下の沈黙は典範改正容認の意味だ」と勝手に解釈して突っ走りましたが、三笠宮殿下は明確に反対論の論陣を張り、天皇家の皆様も同意見のようだ、と公表なさり、朝日新聞社説などでは「黙るべき。皇室の語るべき一線を超えている」と三笠宮殿下に説教する始末。
しかし、秋篠宮紀子さまのご懐妊は、天皇陛下や浩宮皇太子の許可を得てのことと見受けられることから、天皇家は、女系天皇へのルール変更には反対の立場であった、と推測できます。
また、懐妊六カ月という早い段階での公表も、典範改正の動きをストップさせる意図があったとも見えます。


さて、一つの論点として、
「血統か? 即位の儀式か?」という問題があります。
血統が男系でなくても即位の儀式をすれば天皇と認められたことになる、という主張があります。
しかし、「男系の血統の継承こそが皇室である」というのは、古来からの暗黙の了解事項であり、このゲームのルールに則って、皇室は存続し、国民も皇室に敬意を払ってきた事実があります。
天皇家が「現存する世界最古の王家」であることは、ギネス記録ものですから、「世界遺産的文化財としての保存」が叫ばれるのも蓋し当然でしょう。
世界遺産を近代建築に改築したらもはや世界遺産ではありません。その意味で、天皇家が世界遺産的な存在となった「男系の血統」というルールの変更は、ある意味、致命的です。
勿論、「家として存続すれば血統など関係なし」という主張もあるでしょう。
しかし、それならば、白人や黒人を天皇家の養子に迎えて、それを繰り返しても「天皇家である」といえるでしょうか?  答えは「ノー」でしょう。(この問題は平等論とは別次元のものなのです)
「ノー」の理由は、天皇家が、日本と日本国民のアイデンティティーの象徴でもあるからです。

この象徴機能は、血統に由来します。養子で白人や黒人の血統が半分以上になっては、もはや国民のアイデンティティーを投射する対象ではなくなってしまいます。


しかし、男系維持のための側室制度が事実上むずかしいことから、男系維持のためには、男系のY1遺伝子を継承している旧宮家の男性を、まだ国民にも馴染みの残っている旧宮家に養子に入ってもらうことで、絶家した秩父宮家、高松宮家を復活させたり、女の子しかいないためこのままでは絶家となる高円宮家にも男性の養子として入ってもらい、宮家を存続させる。
以上のような秦郁彦氏の案(『諸君』四月号)が現実的・実用的で、妥当だと考えます。


▼天照大神は女性神か?

よく、「女系天皇でもよい」と主張する人の中に、天皇の祖先としての天照大神は女性神だから、と言う人がいます。日本書紀の記述からすれはその通りでしょう。
しかし、古代王朝として有名な卑弥呼の語源は、「日巫女(ひみこ)」である可能性が高く、そうであるならば、巫女が性的にも融合一体となって入神陶酔して神託を述べる恋慕の対象としての太陽神は、男性でなければならないのてす。
「ひみこ」の「やまたい国」と、のちの「大和朝廷」が同一系譜か、別物か、議論がありますが、別物であったとしても、大和朝廷による征服の際に、太陽神が男性から女性になったとは考えにくいものです。
また、「大化の改新」以後の天皇家は易経思想も重視しましたが、易経思想では太陽は陰陽の陽、すなわち「男」に配されます。
また、天武天皇は、伊勢の天照大神に戦勝祈願して戦い政権を奪取しました。女性神に戦勝祈願するというのは不自然であり、この時点では、まだ「武の神である男性神としての太陽神」であった可能性が高いといえます。
もし、そうだとすれば、藤原不比等が国史としての「日本書紀」を編纂を担当したため、日本書紀は藤原不比等史観に偏って書かれていると昨今指摘されていますが、その不比等が仕える女性天皇、持統天皇をヨイショして、彼女の正当性を側面支援するために、天照大神を女性神にすり替えて書かれた、という可能性が浮かび上がってきます。
この点、歴史資料の一層の研究が必要です。


▼提案する新時代の天皇家のあり方

第二次世界大戦後、米国GHQは、国家神道を解体したのと軌を同じくする行動として、天皇家を廃絶する方向であったとも伝えられ、なんとか天皇家の存続を訴える日本側の手紙や声などなどを受けて、というか、それらの訴えを検討したところ、どうやら米国による日本の占領統治には天皇家を利用した方がうまく行きそうだ、という判断が働き、「無力化・形骸化した象徴天皇制」という、一種の「イメージ戦略」の一貫として、天皇制が存続されることが決定されました。
(もっといえば、米国が得意とする大衆を情報操作する戦術の一つと言えましょう。)

最近のニュースで、GHQが「皇室のあり方に対する提言(サジェスチョン)」をしていたという英文資料が発見公開されました。
報道によると、この「提言文書は、学習院院史資料室に保存されている人間宣言に関する一連の資料の一部。これらの資料は、学習院事務官を務め、宣言作成にかかわったとされる山梨勝之進・学習院院長(当時)の秘書役だった浅野長光氏が保管していたもので、死去後の92年に遺族が寄せた。3枚つづりで、表題に「Suggestions」(提言)とある(・・・)など8項目に渡って提言している。」(記者・竹中拓実)
◇「提言」全文の日本語訳は次の通り。
 1 親たちが自分の子供たちの健康、道徳観念、そして教育について責任を負うということを、天皇は一刻も早く公式に述べるべきだ。これらの問題を専門家に任せるのではなく、天皇は自らの役割として気を配るべきだ。《天皇と皇后は、自分たちの子供たちに、さまざまな知識を与えたり、しつけたりしている様子を写真に撮って(国民に見せて)も良いのではないか》
 2 天皇は、自らの自然な温かな気持ちを、身ぶりや手ぶりで示す機会を持つべきである。例えば、握手をしたり、人々と触れたりするのを避けてはならない。
 3 さまざまな人々の集団に対して、元気付ける言葉を掛ける際には、天皇は場所ごとに、それぞれに合った言葉遣いで話し掛けたら良い。《重複を避けるために、その場にふさわしい、いくつかの言い回しを用意しておくと良い。(言葉がいつも同じでは)不誠実、無関心な様子と受け取られる》
 4 時には、天皇は訪問先の人々に演説する時に、きちんとした日本語で話すべきだ。《そうしないと、天皇がくだけたことしか知らないのではとの特別な印象を国民に与えてしまうことになる》
 5 天皇と皇后、親王、内親王は、音楽を奨励するために、日本人音楽家のいくつかのコンサートを聴きに行くべきだ。《プログラムには、価値があるものならば、新しい曲も含めるべきだ》
 6 何か出来る立場であるならば別だが、例えば洪水被災者のような非常な苦境に置かれている人々のところは訪問しない方が良い。
 7 7人の天皇一家の人々の間の温かく称賛すべき関係を、大衆に知らせるべきだ。《だれでも、温かな関係をほほ笑ましく思う》
 8 天皇は、話すためではなく、雑誌の写真の説明を読むことが出来る程度は英語を学ぶべきだ。一般大衆は、天皇が語学を学んでいることを知るべきだ。
−−−−◇「提言」全文は以上。


これを報道した毎日新聞の記事によると、
「当時提言を受けたとみられる皇室の動きもあった。提言では、自分の子供たちと過ごす様子を写真で国民に見せることを勧めているが、人間宣言と同じ46年1月1日付新聞には、昭和天皇の「家族だんらん」の写真が掲載された。46年2月から始まった地方巡幸では、昭和天皇が国民に直接話しかけた。現在の皇室では、音楽鑑賞は一般行事になっている。」
とある。また、下記の専門家の意見も添えている。
▽渡辺治・一橋大大学院教授(政治史)の話
 初めて見る資料で非常に興味深い。当時、日本人が天皇の身ぶり手ぶりまで指示する文書を書く可能性は極めて少ない。占領政策遂行のため天皇の利用を考えていたGHQが「天皇の民主化」を求めていたことなどを考えると、GHQ作成とみて間違いないだろう。
     (2006年02月11日03時32分  毎日新聞)


このような米国の情報操作・イメージ操作により、天皇家は皇太子以降、「親米・親英であり英語も話せる」という形になり、英国留学はお決まりコースとなり、日本国民の反米感情を摘み取り、「親米感情」が湧く仕掛けを色々と用意している、と言えます。

そこで、私としては、米国政府の操り人間的な天皇家ではない、人間らしい皇室の復活を提案したいと思います。

現在の象徴天皇制の下では、皇室の人々には自由が全然ありません。たとえば、フランス語やアラビア語の勉強のためにそこの大学に留学するというのは恐らく政府が許さないのではないでしょうか。反米のイメージがつくため、米国からクレームがつくことが予想されるからです。
また、宮内庁は宗教的な伏魔殿の様相を呈しており、秘密御殿になっています。宮内庁職員の採用基準どうなっているのやら。また、古代天皇の歴代の陵墓の発掘も許可されません。これがために、日本の古代史の考古学的研究は、著しく滞っていて大迷惑なのです。なにか、発掘されてはまずい秘密がそこにあるのか、とも疑ってみたくもなります。
また、皇太子妃の雅子さまは、宮内庁とのやりとりの中で疲れ果てた可能性が高いと思われます。彼女自身、外務省高級官僚だったことからすれば、宮内庁の役人よりも上だったという自負もあるでしょうから彼らごときにとやかく言われる筋合いではない、というプライドもあったかもしれません。それに、彼女は帰国子女であり英語ペラペラの学識豊かな自由主義者でしょうから、不合理で古色蒼然とした神道的な因習などに縛られる自分には耐えられないことは想像に難くありません。
(クリスチャンである美智子妃殿下ですら、昔はひどいいじめにあったと巷間語られていますね。)
そういうことを考えると、浩宮皇太子は英語のできない、しかし信仰深い神社宮司の娘あたりをお嫁さんに迎えていれば、こうした不幸な摩擦は起きなかったのでは?  と思うのは私だけでしょうか。
(この問題に関し、宮内庁職員は伝統的宗教儀式的立場、一方、象徴天皇制は非宗教的、という分裂があるようです。非宗教的象徴天皇制の下では、神社宮司の娘という選択は却下されることでしょう・・・・・この矛盾。)

シュリ・チンモイは、日本が浩宮・雅子さまお二人のご成婚の知らせで祝賀ムードで一杯のさなか、この知らせを日本の弟子から伝えられ両者の写真を見たとき、首を横に振って、写真をテーブルにポイと投げ置いた、という話を,当時、私は伝え聞きました。その時は、
「なんでグルが二人の結婚を祝福しないのだろう、それはひどいでしょ。二人を結びつけたのは神なのではないですか?」
と不遜にも私は考えましたが、今となっては、グルがすべてをお見通しだったことは明らかです。
二人を結びつけたのは、神というよりも外務省官僚で、外務省が画策して二人を引き合わせた、という陰謀説もあります。外務省の発言権・権限拡大を狙った戦略だったというのがその読みです。それが事実か否かわかりませんが、雅子さまが(外務省と連携して! 当然それしかないですね) 皇室外交を積極的に展開して行きたいという目的
で皇室に入ったことは周知の事です。それが宮内庁の大反対で封殺されている、すなわち、宮内庁と外務省の「省庁同士の権力争い」に雅子さまは巻き込まれた犠牲者である、というのがこの説の主張です。
当たらずといえども遠からず、というところでしょうか。


さて、結論です。
「皇室に人間的な自由を!」
そのためには、不自然極まりない象徴天皇制を破棄して憲法改正すべきです。
また、「政教分離原則」の本旨からして、下野(げや)した天皇家が政治に関わることは、歴史の失敗を鑑みても、二度とあってはならない。ゆえに、下野の条件として、「政治には一切関わらない」という誓約をしてもらい、憲法でも天皇家の政治関与を固くこれを禁じ、罰則も設け実効性あるものにする。
以上を前提にして、天皇を国家元首の地位からおりてもらい、一般国民同様の人権を享受できるものとする。
すると、天皇家は、歴史的に見ても、日本全国の神社の祭祀を統括する最高祭祀者という宗教的側面が残ります。ゆえに、全国8万の神社を統括する一つの巨大宗教法人・神社本庁
http://www.jinjahoncho.or.jp/
が皇室の存続とお世話を引き受ける、という形にすれば、皇室が滅びることはないでしょうし、人々の信仰心に支えられて、永久に残って行くことでしょう。
また、万が一の「皇室存亡の危機」に際しては、世界遺産的文化財保護の見地から、政府援助で、皇室を存続させる方途についても議論し定めておけば、リスクマネージメントとして宜しいでしょう。

神道の信者である人々は、天皇家の「いやさか」を願って、神社を詣でることでしょう。
天皇家は自由に、どこへでも御幸することができるようになります。
これが日本の形として、一番自然で美しい形でありましょう。


目覚めよ、日本人!
戦後の英米の、「日本去勢化政策」による足枷(あしかせ)を断ち切って、立ち上がれ!


以上、長くなりましたので、この辺に致します。

それでは、皆様の上に主の恵みが豊かに注がれますように。
また、豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)の如く、主の恵みを豊かに受け取ることができる器となることができますように。そして、大日の恵みを受けて、豊饒なる実りを成して、それに喜び感謝しつつ、人格とカルマを成熟させて行くことができますように。 

碧海龍雨







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