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般若心経マスターバイブル前篇第4章(その1)


第四章  罪悪発生原理の解明 
         〜〜〜人間の本当の原罪とは?
         〜〜〜〜「人志の独立騒動の譬え」 から学ぶ 〜〜〜

  
  
 何故、罪悪は発生するのでしょう? なぜ、人は罪を犯してしまうのでしょうか?
 
ユダヤ教の解答は、アダムとエバがエデンの園の中央の「善悪を知る(能力が与えられる)木」の実を、蛇に誘惑されて「禁」を犯して食べたことが「最初の罪悪」であると言い(創世記 第三章)一般のキリスト教もイスラム教も、ユダヤ教のこの教義を受入れ、引き継いでいます。
 一方、
大乗仏教は「十二因縁の連鎖」を指摘して、人間の悪業の根本は「無知(無明)」であると言います。
 また、
ヒンドゥ−教では「(静態の)縄を(動く)蛇と見間違える喩え」が有ります。これは「人間の認識に関する根本的な錯誤」を指摘するものです。
 また、
イエズス・キリストは「放蕩息子の譬え」を説きました(新約聖書ルカによる福音書 15章11節〜32節)。この比喩では、一般に、放蕩息子が改心して家に戻って来る処に焦点が有ると解説されます。しかし、罪悪の点から見れば、家出して放蕩し、罪悪にまみれてしまうその発端は「家出」だと言えます。
 
 また、イエズスは
「神のものは神に返しなさい」とも説きました。この言葉の深い意味について瞑想する時、我々は「罪悪発生の根っこ」について知覚する「明知」を会得します。
 ≪神のものを自分のものにして、せしめてしまえば、やっぱり霊的な罪にならざるをえません。≫
  
 では、「罪悪発生原理」について「譬え話」にして解説して行くことに致しましょう。
  

〜〜〜〜<人志の独立騒動の譬え>〜〜〜〜          

 ユ−ラシア大陸ほどの広大な国土を持つ或る国に、天野源一郎という(名の)物凄い大金持ちが住んでいた。彼は日本の本州と北海道を合わせたほど広大な敷地を一処(ひとところ)にまとめて所有していた。
 そして、彼の広大な私有地の片隅に、
「生駒(いこま)」 という姓の夫婦が住んでいた。生駒家は、この地で代々、領主の天野家に仕えて来た家系であった。先代・先々代と同じく、現在の生駒夫婦も、天野家に雇用され、天野家の敷地で天野家の御用を務めて生計を立てていた。給料は決して高いものではなかったので、彼らの生活は質素なものであった。
 彼らの家は、天野源一郎氏から借り受けているもので、小さな一軒家が二つ並んだものだった。何故、二軒有ったかと言うと、天野氏が夫婦別々に一軒ずつ家を建てて貸してくれていたからである。
 
 生駒夫婦は心素直で純真で勤勉な者であり、日頃から
「領主様のためなら喜んで」が口癖であった。そんな彼らには「二人の息子」が居た。息子の名は、長男が鋤夫(すきお)、次男が人志(ひとし)であった。
 
長男の鋤夫は、とても聡明で心優しく親孝行の良い子であった。鋤夫は、成人になると、両親と同じ仕事を希望し、天野源一郎氏に雇用される道を選んだ。何故なら、根っから純朴で素直な鋤夫は、両親の影響を強く受けて「領主様のためなら喜んで」が口癖になっていたからである。領主の天野氏は生駒鋤夫の奉公の心をとても喜んで、両親の家のすぐ近くに、一人暮らしする家を一軒新築して、鋤夫に貸し与えた。鋤夫は、領主様の温かい心遣いに深く深く感謝しながらその家に住み、天野家の仕事に精を出し、喜んで一生懸命働いていた。
 
一方、次男の人志は、小さい頃から鏡に映る自分の姿に特別の興味を示す子供であった。人志は、小学生・中学生と成長するうちに、いつでも手鏡を持ち歩き、自分の姿をうっとりと見詰めている子になった。彼は、両親や兄貴が常に「領主様のためなら喜んで」と言いながら御奉公している姿を、内心不快に思っていた。やがて人志も成人を迎え、就職をどうするか、決める時がやって来た。
  
 人志はそれまで心に抱いていた思いを遂に口に出して両親に告げた。
「僕は、みんなのように
天野家に従属・依存した生活をするのはどうしても嫌だ。一生、一介の使用人で終わるのなんて真っ平御免だよ。僕は一人でも充分やって行けると思う。自力で絶対うまくやってみせる。父さんや母さんや兄さんを見ていると、幾ら一生懸命働いても、結局全部、天野家の誉れと栄光になってしまうじゃないか。僕は、自分の働いた分は自分の誉れと栄光になる道を行きたいんだ。それこそが僕の喜びなんだ」
 こうして、人志は天野氏に雇われるのを拒んで、
家を出た。
 
 人志は家を出た後、森の木の実を取ったり、釣りや狩猟をしながら生活し、
「放浪の旅」を続けた。それから一週間後、人志は豪華な「大型の高級車」が放置してあるのを発見した。その車はドアも開いていて、中には鍵もついていた。辺りを見回してもこの高級車の持ち主らしき人間は見当たらない。そこで彼は、これぞ天の恵みとばかりにその高級車をもらい受けることにした。
 早速その車に乗り込んで、上機嫌で運転していると、前方に
「純白の豪邸」を発見した。彼は車を降りて、その建物を点検した。すると、その家には表札もなく、鍵も開いており、持ち主もいないように見えた。
 暫く考えていた人志は
「これは空き家に違いない」と判断し、その家に住む決心をした。
 その家は、物騒なことに庭と外の敷地を隔てる壁や垣根が一切なかったので、人志は木の棒を集めて、自分の庭を広い範囲に設定して、家の周りに垣根を作った。
 こうして、彼は
「高級外車と豪華な建物」を労せずして手に入れてしまった。
 人志は、こうなった成り行きを思い返して「自分はツイている。すごく得をした」と、北叟笑(ほくそえ)んだ。そうして、その家に一年間ほど住んでいるうちに、人志は、
その豪邸も高級車もすっかり自分のものだと確信するようになっていた。
 
 そんな或る日、日頃から水の補給に不便を感じていた人志は、
井戸を掘ろうと思い立ち、自分の家の庭を熱心に掘り始めた。二週間ほど掘り続けた時、目的の地下水の代わりに石油が湧き出てきた。とめどなく湧き出る石油を見て、人志は狂喜乱舞し、これで天野氏のような大金持ちになれると確信した。人志は早速、その石油で商売を始め、高級車で遠くまで出掛け、手広く石油の買手を探し、どんどん私財を増やして行った。
 
そうして三年後−−−。彼は三百億円という巨額の資産を築くまでになっていた。
 そんな時、ふと冷静になった人志はトントン拍子のこの三年間の奇跡を振り返ってみた。改めて考えてみると、時間にばかり追われて、忙しく商売に駆けずり回る“こまネズミ”のような生活が何だか馬鹿馬鹿しく感じられて来た。そして、こういう考えに行き着いた
−−−「私は既に巨万の富を得てしまった。これ以上、何を齷齪(あくせく)する必要があろう? 後は三百億円を使って面白可笑しくリタイア生活をエンジョイすればいいじゃないか」−−−と。
 思い立ったが吉日とばかりに、人志は早速、会社を全部売却し、全財産を持って、遠い
南の「歓楽」という名の楽園に移り住み、悠々自適の生活を送り始めた。
 
 南の国「歓楽」での人志は、多くの者がそうであるように、ほどなくして
ギャンブル・女・酒等々の放蕩三昧の自堕落な生活を送るようになった。そうして三年が過ぎた。
 ふと気が付くと、彼は既に
財産の半分の百五十億円を費消してしまっていた。まさに凄まじい豪遊振りであった。しかし、まだ銀行には百五十億円もの貯金が残っていた。
「まだ大丈夫」と彼は思った。今や、彼の頭にあるのは、お金の心配ではなく、
歓楽のことだけになっていた。
 
ところが、そんな或る日、数人の警官が彼の所に現れた。そして突如、人志は逮捕されてしまった。人志にとっては、晴天の霹靂(へきれき)であった。(悪事をする者に対する応報は、えてしてこうしたものである。)
 
逮捕容疑は、天野源一郎の諸々の財産の盗取であった。具体的には、不動産侵奪罪、石油及び高級車等々の窃盗罪の容疑であった。そして無論、それらの罪に基づいて得た不正な利益を全額返還するように請求する民事訴訟も提起されていた。
 
 取調べ室での刑事の説明によると、嘗て人志が家を出て放浪していた時に生活の糧にしていた森の木の実や釣りで取った魚や狩りで取った鳥獣や、放置してあった高級車は、
天野源一郎氏の敷地内に有る物で、全部「彼の所有物」であった。そして、人志が発見した純白の豪邸も天野源一郎氏の持家であった。その豪邸に垣根や塀が無かったのは、豪邸の周辺一帯全部が天野氏の庭になっているからだった。その一帯の「土地・建物」は総て天野源一郎氏の登記済の所有物だったのである。
 人志は、無断で天野氏の高級車を盗み乗りし、勝手に天野氏の家に住みついて、
所有者に無断で庭を堀り、そこから湧き出た石油を自分のものだと思い込んで勝手に売っ払って儲けていたのだった。
 それ故、裁判は
人志の全面敗訴であった。そして、禁固三年、執行猶予五年の有罪判決が下り、それが確定した。無論、人志の手元に残っていた百五十億円は、全額天野氏に返還されることとなった。そして、その上に、天野氏に対して、南の国で湯水の如く費消してしまった百五十億円分の借金返済の債務だけが残った。しかし、無一文の彼にとって、これは到底自力で返済できる金額ではなかった。
 
 その後の人志の生活は悲惨であった。「歓楽」の国は、無一文の犯罪者である人志の滞在ビザを取り消し、彼に退去命令を出したので、彼は国外追放処分となった。それ故、
彼は隣国の「鞭の国」に行く羽目になった。「鞭の国」は恐ろしい国であった。
 ここでの彼には、
貧乏のどん底に喘ぎ苦しむ境涯が待っていた。
 不潔で狭く異様に臭い部屋、そして夏は寝つけないほどに蒸し暑く、冬は安眠できないほどに冷え込む部屋に住み、不味くて粗末な食事で何とか日々の空腹を凌ぐ有様であった。仕事は、働く所、働く所、鬼のような雇い主しかおらず、徹底的にこき使われ、非常に安い賃金で骨の髄まで労働力を搾取され、ボロ切れのように扱われた。
 「鞭の国」には人権というものが一切無かった。そういうお国柄なのである。
 彼はこの国に対しても、雇用主に対しても抗議し抵抗する力を失っていた。そもそも抵抗自体が無駄なことであった。
 人志は、雇用主から無理難題を押し付けられ、叱られ打ち叩かれながら、必死に歯を食いしばって、何も考えずに働くだけの生活、というか、考える暇も無いほどに尻を叩かれこき使われるだけの生活を送るしかなかった。家に帰るとボロ雑巾のようにベッドに倒れ込み、何もできず、ただひたすら眠り込む生活。
 体の具合が悪くても満足に休日を取ることもできず、ひと度欠勤すれば給料が大幅にカットされ、満足に食事もできない状態になってしまう生活。こうした
「悪趣」(=地獄のような悪環境)に没落してしまったのである。
 
 そうした暮らしをするうち、瞬く間に六年の歳月が過ぎてしまった。
 人志は最早、
身も心も疲弊し切って死にそうな状態になっていた。彼は皺だらけで頬の削げた、一気に二十歳も老け込んでしまったかのような顔になっていた。彼はこうなって初めて、故郷の両親と兄貴を懐かしく思い出していた。
 改めて考えてみると、確かに彼らは贅沢をせず質素に暮らしていたが、
そこには穏やかで豊かな平安と愛と幸福があったではないか。
「そうだ!」−−−人志の心に次のような思いが湧いて来た−−−「死ぬ前に一目、両親と兄貴に会いたい。何としても会いに行こう。そして、自分の我儘を詫びよう。そして天野氏にも会ってお詫びを言おう。私は彼の巨額の財産を費消してしまったのだから、彼らに会わす顔などありはしない。もはやこの巨額の借金を返せる見込みはない。兎に角、死ぬ前に自分の罪を心から詫びておこう。
 
 そうして彼は、全財産をはたいて故郷の空港へと旅立った。
 空港に着くと、知らせもしないのに、
そこには何と、両親と兄、そして天野源一郎本人が迎えに来てくれていた。空港は、彼らの家からとても遠く離れた場所にあったにもかかわらず、彼らは態々(わざわざ)人志を出迎えに来てくれたのだった。
 そして彼らは、疲弊しきって頬が削げ、皺々に痩せ細った人志を熱く熱く抱擁した。人志は涙を流しながら彼らに言った。
「お父さん、お母さん、お兄さん、ご心配かけて本当に申し訳ありませんでした。どうか、私の我儘と愚かな行いをお赦し下さい。私が馬鹿で軽率だったのです。そして、領主様、私はあなたの巨額の財産を盗んだ上に、それを費消してしまいました。私は本当に『法(ダルマ)』に対してだらしない人間でした。私の罪をどうかお赦し下さい。本当に申し訳ありませんでした。」
 
 すると、天野氏が優しい微笑みを浮かべて、こう答えた。
「本当によく帰って来たね。生駒家の大切な次男がこうして戻って来たのだから、今夜は我が家で君のために盛大な歓迎パ−ティ−をやろうと思う。もう準備は万端、出来ているよ。みんなでこの喜びを分かち合おうではないか。」
 人志はこれを聞いて仰天した。
「私はあなたの財産を盗んだ者です。パ−ティ−をしてもらう資格など有りません。」
 天野氏は優しく、しかし断固とした口調で言った。
「過去は塵に過ぎない。今、何をするかが大切なのだ。こうして君の御家族が今まさに君と共に居るじゃないか。そして、私も君と共に居る。互いに楽しく交流しながら、愛の中で共に慈しみ合い、励まし合い、高め合い、己れの本分に従って生きて行く。これが人生で一番大切なことだとは思わないかね。」
 
 人志の目から大粒の涙が止め処(ど)なく流れて来た。彼の両親と兄は、交互に人志を抱き締めた。天野氏が言葉を続けた。
「よかったら私の所で働かないかね。そうすれば、御家族のすぐ隣に君の家を新築して貸してあげよう。無論、君の費消した百五十億円の借金も無かったことにしてあげよう。」
 人志は信じられないという顔をした。そして、心底から喜びを感じて胸を震わせて、思わず素直にこう答えた。
「こんな私でよかったら、どうかどうか宜敷くお願い致します。どんなことでも喜んでやらさせて頂きます。御恩に報いるためにも、天野家の誉れと栄光のために、そして、領主様の喜びのために、私の一生を捧げて捧げて捧げ尽くします。」
 これを聞いた彼の家族は、心からの歓声を挙げ、再び人志を交互に熱く、そして前よりも強く抱き締めた。
 その後、人志の父親が一つの発表をした。
「領主様の御蔭で、今ここに、
古い人志は死んで、新しい人志が誕生した。これを記念して、人志という名前を改め、『等』という名前にしよう。いつも、領主様の御心と一致していられるように、領主様の御意向に等しい人間になれるように、という願いを込めてな。」
 これを聞いた一同は、新しい名前を受けた「等(ひとし)」に、拍手喝采した。−−−(終)−−−
 
 

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 −−−以上が、「人志の独立騒動の譬え」です。
 
 
 
 何故、人志は罪悪を犯し、「不幸と悲惨と辛酸」を嘗める状況に没落してしまったのでしょう。彼は、自分のどんな処が愚かだったと反省したのでしょうか。そして、そもそも、どうすれば罪悪を犯さずに済んだのでしょうか?
 
 では
−−−<人志の「転落」の軌跡>−−−について、以下、分析してみましょう。
 鋤夫と人志の
最初の分岐点は、長男の鋤夫が両親に倣って「領主様のためなら喜んで」が口癖の青年になったのに較べ、人志はそれを不快に思う人間になってしまった点にあります。
 そして、その原因は、彼が小さい頃から鏡に映る自分の姿に特別の興味を示していた点にあります。彼は成長するに連れて、手鏡で絶えず自分の姿を眺める性格を増長させて行きました。そのために、「領主様のため」という観念が次第に希薄になって行き、その代わりに「自分のため」という観念が強くなってしまったのです。これは即ち−−−
<自分というものに気を取られ過ぎて「自分の本分」を忘れてしまったこと>−−−を意味しています。
 そして、「自分の本分」を忘れた人志は、「分相応」を弁(わきま)えずに次のような考えを抱くようになります−−−「私は自力でやって行ける。私は天野家に従属・依存しなくても充分やって行ける。自主独立の無依存でも充分やって行ける」−−−と。
 そして、天野家の誉れと栄光のために奉公する道を軽蔑し、自分の誉れと栄光を求める欲望を肥大化させてしまいます。こうなると、天野家から受けた恩を忘れ、天野家への奉公を嫌って、天野家への就職を拒否する一連の行動は、必至の流れとなります。
 
 ところが、現実は厳しいです。
生駒家の人々は、天野家に依存しないで生きて行くことはできません。これは(望む、望まないに関わらず)動かすことのできない事実なのです。
 それ故、「放浪の旅」を続ける人志は、生きるために天野家の敷地内の @木の実 A魚 B鳥獣 などを
窃取するしかない状況になってしまいます。
 
「盗む意思はなかった。それらは誰のものでもないと思った」と、人志が幾ら言い訳しても、それは通用しません。何故なら、天野家の敷地が広大であることは、両親から聞いて知っていたはずであり、自分のことしか考えないために、それをすっかり忘れていたならば、それは人志の不注意でしかないからです。
 
冷静に注意して考えれば、木の実も魚も鳥獣も「天野氏所有の物である」と気付く可能性は充分にあったはずです(違法性認識の可能性有り)。よって、無断で木の実や魚や鳥獣を取って食べた行為には、窃盗罪が成立します。
 
 これと同様に、C大型の高級車 に関しても、
「盗む意思はなかった。この高級車は誰のものでもないと思った」又は「誰かが不要になって捨てた車だと思った」と、人志が幾ら言い訳しても、それは通用しません。
 冷静に注意して考えれば、高級車が天野氏の所有物である可能性が高いことは充分に察知可能なことだからです。よって、それなりの確認もせずに、安直に高級車を「自分のものにしてしまう」行為には、
窃盗罪が成立します。
 また、D純白の豪邸 に関しても、「空き家だと思った。誰のものでもない(=無主物だ)と思った」と、人志が幾ら言い訳しても、それは通用しません。冷静に注意して考えれば、そのような立派な建物が無主物であることなど殆ど有り得ない、と思い当たるはずだからです。よって、法務局で登記簿を確認することもなく、勝手に建物と敷地を占有して「自分のものにしてしまう」行為には、不動産の窃盗に当たる
不動産侵奪罪が成立します。
 
 そして、E湧き出た石油 に関しても、
「自分が掘って見つけたものだから、この石油は自分のものだ」又は「自分の土地だと信じていた所から湧き出た石油を自分のものだと思うのは当然で、悪気があったわけではない」と、人志が幾ら言い訳しても、それは通用しません。
 冷静に注意して考えれば、石油が出た土地を自分のものだと思い込むことに、正当で合理的な根拠は何一つない、と気付くはずであり、又、気付く可能性は充分にあったと言えます。
 何故なら、人志はその土地を自分の金銭を出して買ったわけでもなく、正しい手続きによって不動産の所有権登記をしたわけでもなく、ただ自分勝手にそれを無主物だと思い込み、それを占有することで、自分のものになったと思い込んだだけだからです。
 よって、湧き出た石油を勝手に処分・売却して儲ける行為には、
窃盗罪が成立します。
 
 このように、人志には数々の犯罪が成立します。
 彼は自分でもよく意識しないうちに、
いつの間にか「大泥棒」へと転落してしまったわけです。自分のものでないものを勝手に自分のものにしてしまうことは「盗み」です。
 そして、たとえ
「自分のもの」と「誤信した」に過ぎない場合でも、その誤信が余りに無神経で軽率なものであれば、「誤信しただけだから盗んだ罪の責任はない」と言うことは決してできません。つまり、本人の自覚が希薄であっても、「軽率な誤信」に基づく窃盗行為は違法性を阻却しないので、窃盗罪が成立します。
 こうした「道理」が底流に有るからこそ、
無神経で軽率な「誤信」に陥らないように、理性と注意力を鋭く働かせ、常に目覚めているように、と真の宗教は皆、口を揃えるのです。
 
 −−−以上が、人志の「転落の軌跡」です。
 但し、この程度の「転落の軌跡」が洞察ができたからと言って、それだけで分かったような気になっては終わってはいけません。
 この譬え話の、より一層深い霊的意義については、更に踏み込んで行きましょう。
 
(前篇第4章 その2 に続く)
(前篇 第四章 その1 終わり)
 
 
 
 

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このページの最終更新日 2004/6/13

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