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梵我瞑想法十地次第徹底解説シリーズ

第1章 ヴェーダンタ密教、奥義への道New!

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第1章 ヴェーダンタ密教、奥義への道

はじめに  ご挨拶

梵とは、ブラフマンのこと。大霊たる全世界・全宇宙の最高主宰神のことです。
「梵」という苗字で、「そよぎ」と読ませるのは、なかなかのセンスだと思います。ブラフマンも、原義では、気息の意味があります。古代人は、気息に命があると見たのでしょう。

さて、ヴェーダンタ密教では、「梵我一如」と言います。これについては、「梵と我が合一すること」だと、長年、仏教学会などでも「誤解」され続けて来ました。
真の意味は、それではありません。
ヴェーダンタ密教における「梵我一如」とは、「梵と我(深い意味での自己意識)が、そもそも同一なるものであった」という、「精神ヨーガにおける極北の発見事実」を指す言葉です。

これを知るに到った者(そうした内証智を得た者)を、ヴェーダンタ密教においては、「聖者」と位置づけます。

私の手を通して、「本物の縁起の法」が発表されたことにより、仏教(仏法・ブッディズム)は、無神論に立脚するものではないことが証明されました。
そして、ブッダの縁起の瞑想法とは、ブラフマンを瞑想するブッディ・ヨーガ技法であった、ということが明白になりました。
これにより、有神論宗教においては、宗教宗派を問わず、「ブラフマン=アートマン」(梵我)、「法州=自州」を ブッディ・ヨーガによって瞑想する人が、世界で爆発的に増大することでしょう。
そうした来るべき流れに対応するために、ここに、「梵我瞑想法十地次第」を著して、この道を行く人々の導きの燈火にしたいと思います。
みなさまの瞑想修行の一助になれば、幸いです。
(なお、「梵我瞑想法十地次第」は、○○年に公表した「真我瞑想法教本」をリライトして、バージョン・アップさせたものです。)


本題  ヴェーダンタ密教、奥義への道

ある人が、パーリ阿含経典など初期〜部派時代の仏典を調べ、大乗経典などをもよく調べると、空を説く般若経典群だけが「異物」のように見える、という意見を述べていました。
その気持ちは、わからないこともありません。般若経典群だけが、四諦も十二支縁起も否定して、「空だ」と述べるからです。それは、見方によっては、ブッディズム本体すら否定するもののように見えます。
その流れで、上座部仏教のテーラワーダのスター僧侶であるスマナサーラ長老は、「般若心経の論理は間違っている?」と指摘していました。
見方をかえると、偉大なる大乗の観自在菩薩による説法は、スマナサーラ長老たち上座部仏教の信奉者には「通じない」という状況なわけです。

しかし、大乗八宗の祖とも称賛される龍樹においては、「空こそがブッダの悟りだ」とされます。
そして、その辺をめぐる「龍樹論争」は解釈が百家争鳴でしたが、「本物の縁起の法」が私の手を通して公表されるに到り、「龍樹解釈のファイナル・アンサー」が提示され、これで、議論の終結をみるに到りました。

「本物の縁起の法」によって明らかにされた驚くべき「ブッダ論理」と「空の真理」を知ると、多くの人は、ようやく、「大乗仏教の核心とは、このようなものか!」と、手応えを感じるに到ります。
この「本物の縁起の法」が知られる以前においては、大乗仏教の空とは、何か、得体の知れない茫漠としたものであり、それゆえに、不安となり、大乗仏教の正しさに不安を覚えた人々は、「仏教の基本である最初の経典群を引き継いでいる上座部仏教テーラワーダの教えに還ろう」と思ってしまうのです。それゆえ、日本においては、スターとしてのスマナサーラ長老が出たこともありますが、小さなテーラワーダ・ブームが起こったのでしょう。
大乗相応の国、日本において、大乗の正しさに不安を覚えた人々によるテーラワーダ見直しの動き。

しかし、「本物の縁起の法」を知ってしまうと、こうしたテーラワーダの教えが、実は、やはり、「小乗の教え」に過ぎなかった、とわかるようになるわけです。
そして、初期の仏典においても、実に沢山の捏造・加増が行なわれているのを感じ取ることができるようになります。
つまり、冒頭に、「般若経典群だけが異物」と思う感覚は、「転倒した感覚」であったわけで、実は、般若経典群だけが正当な核心を突いた真理言説であって、それ以外は、カビのようにして、余計な付着物として、色々と、捏造・加増がなされている部分が多い、ということがわかって来るのです。
つまり、真理の輝きは、サタンによって、すぐに、塵芥やカビを上積みされて、真理は覆われてしまう、という現象です。
ですから、結論としては、真理が示されたのは、「ブッダ在世当初と、龍樹による再興の一時期」だけだったのです。
それ以外の時代は、「真の仏教の空」「真の大乗の空」については、サタン(エゴの無知)によって、ベールで覆われてしまったのです。

そして今、「本物の縁起の法」を知った多くの人々が、「大乗と小乗の差異」について、もっと深く、「的を得た明瞭な理解」に達したいという願望を抱くようになります。
そして、この願望こそが、正しい求道心の燃え上がりなのだと言えます。
なぜなら、小乗と大乗、両者の差異を明確に深く自覚することこそが、実は、「霊性修行における眼睛である」からなのです。

「本物の縁起の法」が出る以前では、般若智をブラフマンの叡智だと言えば、馬鹿にされ嘲笑されたものです。仏教は、バラモン教のブラフマンを否定する教えだ、と。
しかし、「本物の縁起の法」が出た以上、この誤解は解消されました。
ゆえに、明確に、次のように述べることができます。

大乗仏教で言われる「般若智」とは、「人智に非(あら)ず」。
般若智とは、人智に非ず、梵智である、と。

多くの人は、求道の過程において、経典を勉強して、経典知識を「得る、得る、得る・・」と積み上げて行きます。
そうして、「これも知っている、あれも知っている・・・・」という「得意になる慢心」が強固に建設されて行くのです。

しかし、それは、人智の範疇に過ぎません。そうした人智の範疇の増大において、般若智に到ることはありません。
方向性が間違っているのです。
つまり、般若智に到るのとは正反対の、逆方向に向いての
「人智増大方向での修行」「自力増大方向での修行」・・・・・これが、小乗の道ということになります。
これは、エゴを強化する方向性を持ちますが、人間とは、エゴを持つ生物ですから、なんと多くの人々が、こうした小乗の方向性で、修行をしてしまうことでしょうか。
実に大半の人々が、小乗方向での修行をする者である、とすら言えます。

こうした「エゴの自然な動き」に逆行するようにして、人智を削り、人智を滅却して行く方向性の極北に、般若智(たる梵智)はあります。

勿論、悪魔・邪悪な勢力やデンパ系においても、「人智を滅却せよ」ぐらいは、述べるものです。なぜなら、「汝のエゴを粉砕しなければ〜に到れない」というセリフを洗脳の道具にするからです。悪い者たちにとって、餌食にする者たちの人智を否定すれば、洗脳しやすく、操りやすいので、「悪魔も借用する論理」なのです。

しかし、「本物の縁起の法」を知って、ブラフマンの動きを直視して、ブラフマンだけを見つめて瞑想して、ブラフマンを求め求めて、ブラフマンとの交流のパイプをどんどん太くして行く方向であれば、悪魔が付け入る隙はありません。

真の実在である梵我をしっかり見据えて、それに向かって人智を滅却して行くならば、何も恐れることはありません。これまで世界に流布していた「無神論ブッディズム」において、人智を滅却して行くならば、それは、サタンの餌食となって、極めて危険なことになります。
しかし、輝く梵智を見つめて、正しくブッディ・ヨーガを行い、梵智・梵我に連結して行くヨーガを実践するならば、サタンに付け入る隙を与えることはありません。

無論、霊性修行とは、終始一貫して、サタンとの闘いに尽きます。
サタンとは、我々の人智に生起する「吾我驕慢心」だからです。
「吾我驕慢心」という慢心がサタンの正体です。
慢心は慢心を呼び、類は類を呼び、霊界でも慢心者同士が結束したりしますから、吾我驕慢心というサタンは、実に、自分の人智の中にも巣食っており、かつ、周囲の者たちの心の中にも巣食っており、下層霊界における者たちの影響力としても蔓延っているので、そういう意味では、とても手ごわい相手です。

相手が、手ごわいがゆえに、正しい誘導が必要になります。
法華経には、「火宅の人」の比喩がありますが、煩悩の炎で燃えた五蘊を捨てて、家から脱出すべきでしょうか? それとも消火活動をするべきでしょうか?
「本物の縁起の法」を知った人は、ブラフマンに目を向けたとき、煩悩の炎が瞬時、消える、または、収まる、表面的には、鎮火的になることを体験するでしょう。
しかし、ブラフマンから目をそらしたときに、煩悩の炎が再び火勢を得ることを体験するでしょう。
このことから、ブラフマンに目を向けたとき、煩悩の炎が瞬時、消える、または、収まる、表面的には、鎮火的になることの「体験」は、「表面消火」の段階で、奥ではまだ火種が燃焼している状態であることを知るでしょう。

法華経の「火宅の人」の比喩では、「火事である三界」からの脱出を叙述します。
これは、「脱出することと、完全鎮火すること、の両者が不可分であること」を暗示している比喩でもあるのです。
つまり、火種を残していると、火勢の連続性が残ってしまう、ということです。
ゆえに、燃え盛る「五蘊と三界」からの脱出という「避難行動と鎮火行動」は霊性修行においては、不可分である、ということになります。

ゆえに、火災から脱出するための避難口を知らねばなりません。
そして、避難口を示すための「誘導灯の設置」が必要です。
ですから、「人智の中の吾我驕慢心というサタンと闘いながら、煩悩による五蘊火災を消火しつつ脱出して「般若智に到るため」の「信用できる誘導灯」として、
つまり、「般若智へと脱出する誘導灯と避難路の明示」として、
ここに、ブッディ・ヨーガを万人に示すために、本書は書かれました。

ぜひ、それを実践することで、般若智への安全なる巡礼の旅路を進んで行って下さいますように、祈念しております。


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