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般若心経マスターバイブル後篇第8章


第八章 まとめ

第一節  般若宗オリジナルの視点
第二節  新時代の宗教の定義

第一節 般若宗オリジナルの視点


これまで述べて来たことの要点は次の通りです。

1.従来の仏教の「有為/無為」二分法に替えて、老荘思想の「有為/無為」二分法を採用していること。

2.大魚の油かけ調理法のたとえ」を使って、自我変容システムを説明していること(.般若心経完全マスター・バイブル前篇第二章第五節)

3.「梵我一如」の意味について、「ブラフマンとアートマン」という同一存在に対する「二通りの呼び名」があるだけだ、と明らかにしたこと。(般若心経完全マスター・バイブル前篇第三章第二節)

4.「我(アートマン)」には、基本的に6つの意味−−−(すなわち、個我=五蘊の我の意味、及び、真我=大我の意味、活動の起点としての主体の意味、活動本体=活動の真の主体の意味、個体的な魂の意味、自性の意味)−−−があることを明確に指摘したこと。(般若心経完全マスター・バイブル前篇第三章第四節)

5.真の仏教は、「個我に自性が無い」とする教えであること(同上参照)
 
6.罪悪発生原理について、「人志の独立騒動のたとえ」で明らかにし、罪悪発生の四段階ステップを提唱し、それを四源罪−−−(すなわち、根本過失、及び、根本錯誤、及び、根本我欲、及び、根本盗取)−−に解析したこと。(般若心経完全マスター・バイブル前篇第四章)

7.「自性」概念について、「概説版としての5要件」と「詳説版としての7要件」の二段階で解説していること。(般若心経完全マスター・バイブル前篇第三章、及び、後篇第二章参照)
詳説版の7要件を挙げれば、次の通りです。
【要件一】

  (或る主体に)他の何ものにも依存することなく(完全自主独立の形で自律的・孤立的に)“活動”することができる、という性質(能力)が有ること (=「自立的活動性」要件)
【要件二】
  (その主体に)そうした(無依存で孤立無縁の、完全独立的な)“活動を恒久的に継続”することができる、という性質(能力)が有ること (=「永久活動性」要件)
【要件三】
  (その主体に)他の何ものにも依存することなく(完全自主独立の形で自律的・孤立的に)自身の“存在を存続”させて行くことができる、という性質(能力)が有ること (=「永久存続性」要件)
【要件四】
  (理由は不明だが兎に角)何ものにも依存することなく(完全自主独立の形で、自律的・孤立的に)「在って在る」存在であること
【要件五】
  「無形・無限」の存在であること 
【要件六】
   何ものにも依存することなく(自在に)自らの“存在の一部を有形化して現出”させることができる、という性質(能力)が有ること  (=「自己存在一部有形化現出力」略して「一部有形化現出力」の具備)
【要件七】
   時空を超越した「不二の絶対界」に「在って在る」存在であること 
8.また、「無自性」概念も「三要件」をあげてその内容を明らかにしたこと。(同上後篇第三章)
 それを挙げると次の通りです。
【要件1】 (或る存在に)他の何かに依存しないでは「存在として生起(発生)し得ない」という性質が有ること
【要件2】 他の何かに依存しないでは「存続し得ない」という性質が有ること
【要件3】 他の何かに依存しないでは「活動し得ない」という性質が有ること

9.「さやけき寂寞の瞑想法」を明らかにしたこと(同上後篇第四章)

10.自性有る存在を「大日空王主」という呼び名で呼び始めたこと。(同上後篇第五章)

11.イグナチオ・デ・ロヨラの「愛に達する瞑想法」との共通性を指摘したこと(同上後篇第六章)

12.「空」の三義を「自性・無自性」概念で分かりやすく明らかにしたこと。(同上後篇第七章)
具体的には、A.<「空」の(基本的な)二義> として、「自性有る存在=大日空王主」(の意味)と 「無自性存在」(の意味)があること、 B.<マインドで分割した「空」の三義>として 「無自性存在」(の意味)及び、相対界レベルの「大日空王主」(の意味)=世俗諦(客舎)(の意味) 及び、絶対界レベルの「大日空王主」(の意味)=勝義諦(本居=本地)(の意味)があること、C.<実際の瞑想の深まりに合わせた「空」の三義>として 「無自性存在」(の意味)、及び、相対界レベルの「大日空王主」(の意味)=世俗諦(客舎)(の意味)、及び、「無自性存在」にして(同時に)「自性有る存在」(の意味) があることを明らかにしました。
13.「菩薩」という言葉に対して、<悟りへの発心堅固な勇者>(空−七−二六の和訳の通り)−−−
という訳語をあてたこと。

14.般若波羅蜜多の意味を「知恵の完成」と訳すのは間違いで、正しくは、、「プラジュニャ−(=本地の叡智)・パ−ラミタ−(=完璧性)」→「完璧なる本地の叡智(=完全究極叡智)」と訳すべきであり、さらに短い言葉で表現するならば、
「完全究極叡智」というように呼ぶべきである、ということを史上初めて明らかにしました。(同上後篇第七章)

15.(あらゆる現象は変化してやむことがない、という)従来の「諸行無常の意味」の解釈に替えて、
≪≪≪≪ 「諸行無常」の真義 ≫≫≫≫
について次のようにその内容を明らかにしました。すなわち−−−− (相対界レベルの)すべての造化力は常ならず、いつか必ず消滅するものなり。大日空王主の御力(造化力)無くして、万物無し。しかし、その御力(造化力)も常ならず。主は(万物維持の)労力を引き上げ、止めてしまう時も有る。その時、如何?−−−という意味だと。
(詳細は、般若心経完全マスター・バイブル 後篇第七章(その二)の「語義解析16.行(サンスカーラ)」の解説である「空−七−七六」〜「空−七−八二」までを参照して下さい。)

16.般若心経ついて、「真髄和訳」という画期的な和訳、この和訳を読んでいれば叡智のヨーガとしては充分という日本語訳を完成させたこと。

17.縁起の依存関係について、発生論を除外する「空」の立場では、横の依存関係だけが問題にされたわけですが、本書では、発生面を含めた「空」の解釈を提唱することにより、縦横二重の依存関係を指摘し、実際の瞑想法で重要なのは、縦(垂直)の依存関係の法である、と明言したこと。

18.般若宗は、システム論のエントロピー概念を利用して、全く新しい「宗教」の定義を提唱しています。即ち−−−<宗教とは、魂の救いと永遠の生命(という尽きる事のない幸福)の会得のために、超越神の意思・行動に合わせる方向で、人間の意思・行動に関する「選択のエントロピ−」を縮減して行く、そうした道を示す教えである>−−−と。
 また、この事から−−−「宗教規範」についての定義も明らかにしています。すなわち−−−
<宗教規範とは、これを選択すると、選択者と超越神の意思・行動との相互関係性という意味でのエントロピ−が(選択した特定の宗教規範が要求している縮減の程度に応じて)縮減される、恒常性を有するファンクショナル(関数的×機能的)な原理>−−−と。(同上後篇第八章)
こうした定義の威力については、おいおい解説して行きますが、実際の「空のダルマ」の普及と宗教平和運動の中で、大きな役割を果たして行くことでしょう。

以上。

ところで、最後の「18」については、次の第二節で解説して行きます。

第二節  新千年紀の「宗教」の定義
     (宗教の全体像を鷲掴みする)


 本覚思想と不二一元論(アドワイタ・アドヴァイタ)哲学の視座から、二十一世紀以降の新千年紀にふさわしい、新しい「宗教」の定義をここに提示したいと思います。今流行の「システム論」の主要概念である「エントロピ−(不確定性)」概念を使うと、「宗教」の全体像を一気に鷲掴みすることができます。
 私が提示する「宗教」の定義は次の通りです。即ち−−−

<宗教とは、魂の救いと永遠の生命(という尽きる事のない幸福)の会得のために、超越神の意思・行動に合わせる方向で、人間の意思・行動に関する「選択のエントロピ−」を縮減して行く、そうした道を示す教えである>−−−と。

 この事から−−−
<宗教規範とは、これを選択すると、選択者と超越神の意思・行動との相互関係性という意味でのエントロピ−が(選択した特定の宗教規範が要求している縮減の程度に応じて)縮減される、恒常性を有するファンクショナル(関数的×機能的)な原理>−−−と表現できます。

【※註>>>−−−以上の「宗教定義」「宗教規範の定義」については、優秀な哲学者であり社会学者である永井俊哉氏の説を参考にして考案したものです。
永井俊哉氏は、
「規範とは、特定の行為を選択(select)し、他の可能的行為を淘汰(select)する関数的=機能的(functional)な恒常性であり、規範の妥当性とは、かかる選択が間主観的に淘汰され無に帰すことがない、つまり選択が選択されている事態の謂いである。」
と書いています。その箇所はこちら。http://www.nagaitosiya.com/b/moral.html     
−−−>>>註終了】


 「何だ! 難し過ぎる」と思う人も多いかもしれません。エントロピ−概念自体が極めて抽象的で、取っつきにくいものですから。しかし、抽象的だからこそ猛烈な威力を発揮するという場合も有るのです。
 とにかく、できるだけ分かりやすく、私の「宗教定義」について以下、説明してみます。

 大きなプ−ルに、二人の人間(主体)が制約無く自由に泳いでいたとします。この場合、2主体はバラバラな動きをしているので、2主体の行動に関する不確定性(エントロピ−)は高い状態と言えます。ここで、一方の者が「やるわよ〜」と大声をかけたなら、もう一方の者は「は〜い」と言って、共に「東方向」に泳ぎ出す、という約束事を決めたとするなら、これを実行している時は、以前の「無秩序状態(=不確定性が高い状態)」よりも、2主体の行動に関する不確定性(エントロピ−)は減っていると言えましょう。
 こうした2主体の打合せを密にして行くことで、最終的には、<一糸乱れぬシンクロナイズド・スイミングの演技>をやるならば、2主体の行動に関するエントロピ−はものすごく縮減された状態、と言えると思います。
 超越神が己れの超越性を人間に無条件に付与することは有り得ません。何故なら、もし神様が超越的な能力を人間に与えてしまい、人間が与えられた高度な能力を自分の好き勝手、わがままし放題に使用し始めたなら、大変な事になってしまいます。秩序は混乱し、そればかりか世界システムの破壊という事態を招いてしまうかも知れません。このような「大罪」を人間に犯させるわけには行きません。従って、超越神が管理する“自己保存的”な秩序維持システムのもとでは、超越神が自身の超越的能力を人間に無条件に与えることは有り得ないわけです。創世記にも、「神に背いたままの状態」の人間に永遠の命を与えたら大変な事になる、ということで、命の樹の実を絶対に渡さないようにする場面が記されています。(実に正鵠を射た象徴表現と言えましょう。)
 テロリストによる核兵器の保有も懸念され、核戦争による人類滅亡の恐怖とも隣り合わせの現代人ですから、私の言わんとしている事は、無理なく分かると思います。

 というわけで、超越神が己れの超越性を人間に分与する条件が有るとしたなら、神の意思・行動と結合・一体化の方向で、人間の行動に関する(選択の)エントロピ−を縮減して行くことしか考えられない事になります。つまり、人間に限定的に分与されている「自由意志」の範囲を、神の意志に合わせて、どんどん縮減して行く必要が有る、ということです。
 一言で言えば、「人は、悪いエゴを無くして行かなければ、超越性や解脱や永遠の命は与えられない」という「不動の法が有る」ということです。

 これまでの論理をもう一度まとめてみましょう。
 神の超越性が人間に付与される条件はたった一つ。それが、神(の意思)に合わせる形で人の選択のエントロピ−を縮減して行く(神との一体化の)方向です。
 という事は、諸宗教の中に、「救いに関する正しい真理」を含む宗教が有るとしたならば、その宗教は必ず「神(の意思)に合わせる形で人の選択のエントロピ−を縮減して行くという内容」を教えているはず、と言えます。
 という事は、宗教がどれだけ沢山存在しても「神(の意思)に合わせる形で人の選択のエントロピ−を縮減して行く」という点では「必ず共通する」わけですから−−−
<真実の宗教は超越神との一体化の方向を必ず教える>−−−と結論できます。
  そしてこの事は、「万教帰一思想」は正しい、ということを意味します。

 −−−以上、
ここに提示した「宗教の定義」には「水爆級の威力」が秘められています。
 この「宗教」定義は、世界四大宗教の統一理論の「核」になるもの、と言えます。また、もっと言うと、真理を含む宗教であれば、そのすべての宗教の統一理論の核になるもの、と言えます。また、更に言えば(もしも宇宙人が存在し、彼ら独自の宗教を持っていた場合でも、そうした)全宇宙に存在するすべての宗教の統一理論の中核になる定義とさえ言えます。
〔これぞ、真のユニヴァ−サル(普遍的×宇宙的)な「万教帰一思想」です。〕
 今後、この「宗教」定義については、「世界宗教者会議」などでも議論されて行くことでしょう。そして、この「宗教定義」について合意が得られたならば、それは各宗教の「規範の解釈」についての「統一的指針」が確立したことを意味しますから、諸宗教の対立・闘争を終息させる大きな力と光になって行くはずです。

 ただ、ここで、聡明な読者諸氏は、『一体化すべきその≪神≫とは何か? こそが問題じゃないか』との疑問・反論がおありでしょう。
 しかし、それについては、当サイトで『自性概念の明確化』ということで定義付けをしています。神とは、『宇宙の真のオーナー』であり『真の主体』です。『完全自主独立した存在』です。こうした『万物の第一原因としての神の特徴』を抽出して、これについて議論して行くならば、『神とは何か』について、認識を深めることができますし、見解を統一して行くことも可能です。
 つまり、般若宗が提唱する『二十一世紀の自性概念』について多くの人々が深く考え瞑想するようになれば、真実が明らかなって行くということです。


 以上で、『般若心経完全マスター・バイブル後篇』を終了し、前篇・後篇の両方が終了しました。

  
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このページの最終更新日 2004/5/9

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