特長その4

洗脳と闘う

▼ 宗教にありがちな洗脳と、どう闘うか?

 世の中の宗教教団の多くは、≪秘密教義や秘密聖典≫ を持っています。
 よく有るパターンは、「公開している聖典」と「非公開の、信徒だけの聖典」、こうした
「オモテの顔とウラの顔」の二種類を持っている教団です。「信徒限定、非公開聖典」が有ると、「信者が集まりやすい」という点で、教団にメリットが有ります。
 入信する者にしてみると、 ≪信者になったら、他の人が絶対に見ることのできない「聖なる秘密の書物」を読むことができます≫ と言われると、とても興味と好奇心をそそられてしまうものです。そして、実際に信徒になって秘密聖典を読むことができると、誰でも次のように感じることでしょう。
「自分は特別に選ばれた人間だから、このようなう秘密聖典を読めるのだ」 と。
 こうして、ひそかに、
大きな優越感、高慢心を抱くようになります。
 こうした高慢心、優越心は、教団への忠誠心に通じます。それゆえ、その信者は、その教団から離れなくなります。
 このような効果が有るので、「秘密聖典」を多くの宗教教団が採用しているのです。

 もっと極端な教団になると、教祖の御言葉を集めた聖典を、その教団に入信するまでは、一切見せてはいけない、という方針でやっているところも有ります。彼らの主張はこうです。
「聖なる書物をけがさないためには、むやみに人には見せられないのです。ですから、我が教団に入信して下さい。そうすれば、このすごい聖典が読めます。」

 しかし、事前にその教団の聖典をよく読んで、レベルや真偽を慎重に見定めるべきです。そうでなければ、危険なカルト宗教教団に入信させられてその餌食にされてしまう可能性が有ります。
 このように、
(色々な理由をつけて)「事前のチェック」を絶対に許可しない教団  を、むやみに信用すべきではありません。
 尤(もっと)も
、《高慢と優越感に浸りたい》 という悪い欲望に引きずられて行動している人には、このような警告は無駄かもしれません。そういう人は、危険な教団であろうとなかろうと、高慢の美酒に酔わせてくれるところであれば、どこでも良いと思っていることでしょう。


▼ 今の時代、秘密教義は不健全

 嘗(かつ)て、空海は、秘密経典である「理趣経」を最澄が「見せてほしい」と頼んで来た時に、きっぱり断っています。しかし、その「理趣経」ですら、現代では、誰でも読むことができます。
 また、嘗て、ユダヤ教聖典は門外不出の聖典でした。しかし、現代では、本屋に行けば、当時の門外不出の秘密聖典であったユダヤ教聖典、すなわち「旧約聖書」は、誰でも購入して読むことができます。
 また、宗教の最高峰の「奥義の霊的ヴィジョン」を書き記したとされる「般若心経」にしろ「法華経」にしろ、現代では、誰でも読むことができます。
 
 情報化社会の現代においては、宗教の奥義も、公開されているのです。
 
 しかし、本を読むことと、その本の内容を正しく理解することは同じではありません。「読んでも分からない」ということは多々有ります。これが、宗教における
 ≪公開された秘密≫ と言われるものです。

 先にも述べた通り、秘密教義や秘密聖典の存在は、信徒の心に、「悪い形の誇り」や「悪い形のセクト主義」を生み出すことにつながります。
 こうした
各種の高慢心は霊性修行の妨げになります。もっと言えば、こうした高慢心を抱いているうちは、「悟り」というゴールには、到底、到達することはできません。
 その意味で、真に正しい王道を行こうとするのならば、秘密教義や秘密聖典の存在に、あまり気を取られないことです。

≪オープンになっている既存の聖典だけでも、それを深く深く深く深く理解して、その教えを正しく実践すれば、それで十分である≫ −−−− このような自信を持っていただきたい、と思います。


▼ 悪い宗教教団は「情報統制」で信徒を縛り、洗脳する

 「秘密聖典」を見せたあと、悪い宗教教団は、「我が教団以外の書物は悪魔の書物ですから、他の宗教書は絶対に見てはいけません」と教えて、信徒を洗脳することが多々あります。

 
洗脳するには情報操作が必要です。そして、そのためには、信徒にイップットされる情報内容を、自分の教団のものに限定させる必要が有ります。ですから、「他の宗教書は悪魔の書物だから見てはいけない」などとと教えて、信徒に「広い見識」を持たせないようにするものです。

 ということは、
この逆をやれば洗脳されないで済むことになります。
すなわち、
洗脳されないためには、「どんな書物でも、広く、好きなように読む自由」を確保しておくこと−−−です。
 悪魔の書物かどうかは、自分の目で見て判断すべきであり、教団からどうのこうの、と指図されて、決めつけられるべき筋合いのものではありません。あくまでも、自己責任で、自分で判断すべきです。それが大人というものです。

 
情報統制されないためには、「公開された宗教教義」を沢山読むことです。そうすれば、おのずと、何が大事か、一定の見識が形成されて行くことでしょう。秘密聖典だけを読んで、その真偽を判断しようとしても、無知な初心者には荷が重すぎると言えます。それよりも、まずは、「公開された宗教教義」に精通するようになるレベルを目指すべきです。
 そうなれば、その人は
もはや初心者ではありません。その人が、秘密聖典と言われるものを読んだ時には、その真偽を、広い見識の中で、正しく識別できることでしょう。




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このページの最終更新日 2003/12/10

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